1922年 | ・党の創立(7月15日) 当時、日本が起こした侵略戦争に政党として唯一反対をつらぬきました。治安維持法で大弾圧を受け、少なくない党員が命を落としました。 |
1946年 | ・戦後最初の総選挙で5議席、49年総選挙では35議席に躍進 |
1950年代 | ・「自主独立」を確立、武力革命おしつけを拒否 旧ソ連、スターリンが日本に武力革命方針を押しつけ、党が分裂。他国から干渉を受けない「自主独立」の立場を確立し、武力革命路線も明確に否定しました。 |
1961年 | ・党綱領を決定 「資本主義の枠内での民主主義革命」「議会を通じての改革」「統一戦線の政府」などを綱領で決定。一致できる要求で他の政党と協力する政治姿勢を明確にしました。 |
1960~70年代 | ・野党第2党に躍進、革新自治体ひろげる 大企業中心、アメリカいいなりの自民党政治に対決し、社会党(当時)と統一戦線をくみ、革新自治体をひろげました。 |
1980年代 | ・社公合意で「共産党をのぞく」体制づくり 社会党と公明党が「日本共産党をのぞく」で合意。「オール与党」政治が進行。 日本共産党は自民党政治を変える目標で一致する団体や個人との共同を広げ、革新統一戦線実現のために奮闘しました。 |
1990年代 | ・「小選挙区制」「政党助成金」導入 非自民政権づくりが失敗。共産党が史上最高の820万票(98年参院選比例)で大きく躍進しました。 |
2000年代 | ・「自民・民主」の「2大政党」づくり すぐ政権をとれない政党をはじきだす作戦で共産党を排除しました。 |
2013年 | ・参議院選挙で3議席から8議席に躍進 「共産党をのぞく」政治体制が崩壊しました。 |
2015年 | ・安保法制廃止の国民連合政府を提唱 安保法制反対のたたかいで生まれた新しい市民運動に背中をおされ、立場の違いをこえ、野党共闘を決断しました。 |
2016年~2021年 | ・4回の国政選挙を「野党共闘」でたたかう 21年の総選挙では「20項目の共通政策」「政権合意」「選挙協力」の3本柱がそろい、「本気の共闘」に。共産党議席は後退しましたが、政権交代への大きな一歩をふみだしました。 |
2022年~ | ・党創立100年の不屈の歴史を生かして 夏の参院選では、「2重の大逆流」を押しかえす過程で残念な後退。先人たちの不屈のたたかいをいまに受け継ぎ、政治の夜明けをひらくために、前回党大会比130%の党づくりを実現しようと全力をあげています。 |