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2023年5月1日(月)

徹底追及 統一協会

幼子残し「海外宣教師」

母さん、行かないで

 統一協会(世界平和統一家庭連合)は、日本の信者を海外に「宣教師」として送り込んできました。小学生のとき母親が「宣教師」で派遣された信者2世は「母親がいなくてつらかった」と振り返ります。(統一協会取材班)


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(写真)韓国・清平に「宣教師」となる日本の青年信者を集め、言葉をかける統一協会の韓鶴子総裁(中央)=2013年(統一協会関連HPから)

 集団結婚した両親を持つ信者2世の鈴木みらいさん=仮名=は、小学校4年生のときに、母親がある島国に伝道のため派遣されました。1996年12月のことです。弟はまだ保育園の年長でした。

 「行かないで!」。泣いて止めたものの、考慮されることはなかったといいます。

生活かつかつに

 父親は子育てと家事が両立できず、食事はコンビニ弁当ばかり。運動会、修学旅行は、父親がコンビニ弁当を弁当箱に詰め替えていたといいます。

 パートだった母親の収入が途絶えたため、生活はかつかつに。「月末になると父が『今月はあと2000円しかない』とか話すのが本当に悲しかった」

 母親は2年間、海外で活動しました。その間、弟の小学校入学式がありましたが、1度も帰国せぬまま。2、3カ月に1回電話がある程度でした。「子どもの成長や心の不安を顧みなかった」

 幼児を置いて母親が海外に派遣された信者家庭はほかにも多くありました。

 統一協会が取材協力した書籍『宣教師 世界に羽ばたく13人の日本人』には、産後40日で子どもを置いて1年以上、南米に派遣された女性が出ています。この女性は帰国後、母親と認めてもらえるのに「3年くらいかかりました」と述べています。

 別の女性は、小学1年生、3歳、2歳の娘を置いてアルゼンチンに派遣されました。現地の幹部から「家族が死んでも絶対に帰らない。家族を理由に帰れば家族がざん訴される(かげぐちをたたかれる)」と言われたと回想しています。

6000人出せ

 統一協会は一体どのぐらい日本の信者を海外に送り出したのか―。統一協会の地方組織がまとめた『神奈川統一運動史』によると、1996年11月に南米へ「宣教師」4200人を出したとあります。その3カ月後には協会の開祖文鮮明から「日本は、4月までに6000名の宣教師を出すように!」と指示が下ったと記載しています。

 日本統一協会の田中富広会長は昨年8月の記者会見で「日本の法人が、全世界に宣教師を派遣していることは事実です」「世界に活動が活性・活発すればするほど、(日本の)献金も世界宣教費として送った」と述べています。日本の信者、献金が統一協会の“世界布教”を支えていることを認めた形です。

 前出の鈴木さんは、信者たちが無理な渡航に応じる理由をこう解説します。「文鮮明は“日本の母親は使命があるから宣教にいかないといけない”と指示しました。信者にとって文鮮明の言葉は絶対です。母親はメシアに貢献することで家庭が幸せになると信じて海外に行った。子どもたちは寂しい思いをしただけですが…」


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