2022年2月11日(金)
主張
「建国記念の日」
負の歴史刻んだ過去の直視を
きょうは「建国記念の日」です。もともとは戦前の「紀元節」でした。明治政府が1873年、天皇の権威を国民に浸透させるため、「日本書紀」に書かれた建国神話をもとに、架空の人物である神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的・歴史的根拠はありません。
国民の戦意高揚に利用
戦前の天皇制政府は一貫して、国民を天皇崇拝と侵略戦争に動員するために「紀元節」を利用してきました。大日本帝国憲法を発布したのは1889年の2月11日でした。90年には「金鵄(きんし)勲章」が制定されました。武功抜群とされた軍人に与えられる勲章で、神武天皇の弓に金色のトビがとまって敵の目がくらみ、たたかいに勝てたという神話にもとづいています。
朝鮮半島の支配をロシアと争った日露戦争の宣戦布告も1904年2月10日におこなわれ、11日に新聞発表されました。
国民を侵略戦争に駆り立てるために「紀元節」を利用することは、1941年12月8日に開始されたアジア・太平洋戦争のもとでいっそう強められました。
「シ港要塞完全に死命を制す」「紀元の佳節 精鋭士気高揚 敵最高拠点を奪取」。80年前の2月11日、朝日新聞の1面にこんな大本営発表記事の見出しが躍りました。天皇制政府と軍部は、当時イギリス領だったシンガポール島の攻略作戦を「紀元節」にあわせて実施し、戦意高揚をはかりました。
シンガポールを占領した日本軍は、抗日運動に参加した中国系住民を大量虐殺しました。現地に立つ「血債の塔」には「深く永遠の悲しみとともに、この紀念碑は、日本軍がシンガポールを占領していた42年2月15日から45年8月18日までの間に殺されたわが市民たちの追悼のために捧げられる」と刻まれています。
42年6月のミッドウェー海戦の日本の敗北で戦局は転換し、太平洋地域の制空権と制海権は連合国側に移りました。鉄鉱石などの軍需物資も欠乏しました。
木造船建造のために、個人の屋敷や神社仏閣、街道筋の並木をはじめ多くの巨木・大木が切り倒されました。この「軍需造船供木運動」が開始されたのは43年2月11日でした。推進したのは大政翼賛会です。歴史学者の瀬田勝哉・武蔵大学名誉教授が著書『戦争が巨木を伐った』で痛苦の過去を克明に記しています。
負の歴史を背負った「紀元節」は戦後、国民主権と思想・学問・信教の自由を定め、恒久平和を掲げた日本国憲法の制定に伴い、48年に廃止されました。ところが佐藤栄作内閣が66年、祝日法を改悪して「建国記念の日」を制定し、「紀元節」を復活させて今日に至っています。
歴史修正主義から脱却を
歴史を記憶にとどめるうえで大切なのは、事実を直視することです。それは岸田文雄内閣が決定した佐渡金山の世界遺産推薦にあたっても問われています。
日本政府が侵略と植民地支配の負の歴史を認めようとしないのは、根深い歴史修正主義の考えがあるからです。登録推薦を行うのなら、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認めるべきです。
今こそ歴史の事実と向き合い、憲法9条にたったアジアの平和外交への転換が求められています。