2021年9月15日(水)
主張
空襲被害者の救済
悲痛な願いの放置許されない
日本政府は戦後76年がたっても、空襲や艦砲射撃で命を奪われた人、心身に障害を負った人、親を殺され孤児になった人やそれらの遺族に一切の謝罪も補償もしていません。民間の空襲被害者が国に救済を求め、声を上げたのは1972年です。名古屋空襲で左目失明などの重傷を負った故・杉山千佐子さんが、全国戦災傷害者連絡会を立ち上げたのが始まりでした。以来半世紀もの間、空襲被害者の要求を無視し続けてきた政府の責任は極めて重大です。被害者に残された時間は長くありません。国は一刻も早く救済すべきです。
私たちには人権ないのか
超党派の空襲議員連盟は▽空襲や沖縄戦などで心身に障害を負った生存者への一時金の支給▽被害の実態調査―などが柱の民間空襲被害者等救済法案の要綱案をまとめています。しかし法案は提出されないまま、国会は何度も閉じられてきました。全国空襲被害者連絡協議会(空襲連)の吉田由美子共同代表(80)は「今度こそは」と今年の通常国会を期待しました。ところが、自民党内の抵抗で法案は出されず「またしても裏切られた」と肩を落としました。
吉田さんは45年3月10日の東京大空襲で父母と生後3カ月の妹を失いました。その後引き取られた親戚に差別や虐待を受けました。「親に育ててもらいたかったし、甘えてみたかった。私は甘えることを知りません」。親からの愛情やぬくもりを奪われた苦しみは、いまも消えることはありません。
空襲連は昨年、結成10年を迎え、今年8月に記念誌を刊行しました。「空襲被害者の最後の叫びを記録に残して後世に伝えたい」と考えたからです。空襲被害者の諦めない姿勢と、法案実現の日まで生き抜く覚悟を示すことも刊行の目的の一つです。「民間空襲被害者に人権はないのか」と痛切な言葉もつづられました。
政府は元軍人・軍属には恩給・年金などで補償を続けています。一方、空襲被害者には「戦争被害は等しく受忍すべきだ」と救済を拒んでいます。空襲連は、空襲被害者の人間回復のため、「差別なき戦後補償」を求め立法化運動を進めてきました。同会は総選挙に向け、「空襲救済法に賛成する国会議員が多数になることを期待する」とスローガンに掲げています。
日本の侵略戦争はアジア諸国で加害行為を繰り返し、日本でも多数の一般市民を巻き込み膨大な犠牲者をうみました。1931年9月、日本は中国東北部での柳条湖事件(「満州事変」)で侵略戦争を開始し、37年に日中全面戦争、41年にアジア・太平洋戦争へと戦線を拡大しました。日本はその間、中国の重慶を焼夷(しょうい)弾で無差別に爆撃しました(38~44年)。米軍も日本の諸都市を無差別爆撃し、焦土にしました。頂点に達したのが広島・長崎への原爆投下でした。
命を守る政権への転換を
菅義偉政権は8月、広島の原爆投下後に降った「黒い雨」訴訟の広島高裁判決確定を受け、原告以外の被害者も救済する方針を示しました。空襲被害者の声にも正面からこたえるべきです。
自国の戦争被害者を切り捨てる政府の姿勢は、過去の戦争への無反省と一体です。コロナ禍で国民の命とくらし、人権をないがしろにする立場にも通じます。命を守る政権への転換が求められます。