2021年2月28日(日)
「N高政治部」 志位委員長の特別講義(8)
共産主義、天皇制
「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件」に
続いてEグループの生徒からの質問に志位委員長が答えました。
生徒 まず、日本共産党は、そもそも本当に共産主義をめざしているのでしょうか。共産党が与党になったとして、天皇制を廃止すると聞きました。これは本当でしょうか。日本共産党が現実的にめざしている社会とはどういう社会でしょうか。
天皇の制度――憲法の条項と精神をきちんと守ることが何よりも大切
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志位 まず、共産党が与党になったら天皇制を廃止するというのは、これは違います。
私たちが天皇制について――党の綱領では「天皇の制度」といっているのですが――、どう位置付けているのかといいますと、綱領では現行憲法をしっかり守ることが何よりも大事だとしています。
現行憲法には、天皇は「国政に関する権能を有しない」(第4条)ということが書いてあります。つまり、政治に関与してはいけませんよとなっているわけです。
ですから、この制限規定をきちんと守り、天皇の政治利用をはじめ、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する、これが何よりも大事だというのが、私たちの立場です。
憲法の条項と精神をきちんと守りながら、天皇の制度とはかなり長期にわたって共存していく。これが私たちの展望なんです。
ですから、かりに私たちが参画する政権ができたとしても、天皇の制度そのものを変えたり、廃止したりなどということは、ありません。この制度は、現行の憲法に定められている制度であり、その憲法をきちんと守るということが、私たちの方針です。
天皇の政治利用は絶対にやらない――「主権回復の日」記念式典について
三浦 では、天皇に関わるところでは、どこが具体的に変わるのでしょうか。いきなり廃止ではないということはわかりました。
志位 そうですね。いまお話しした、天皇の政治利用は絶対にやらないという点では、過去にいろいろな問題があります。たとえば、2013年のことですが、4月28日に「主権回復の日」記念式典というのを、当時の安倍政権が行いました。
私たちは反対しました。この日は、1952年にサンフランシスコ平和条約と日米安保条約が発効した日で、これらの条約で日本がアメリカの支配のもとに組み込まれたという問題があります。そして、この日は、沖縄が平和条約によって日本から切り離され、米国の施政下に置かれた日なのです。ですから、沖縄県民にとっては「屈辱の日」とされている日なのです。沖縄からは、こういう日を「主権回復の日」として祝うことに対して、強い批判と抗議の声があがりました。
そういう政治的評価が大きく分かれる日に、政府として記念式典を行い、天皇・皇后の出席を求めるというやり方は、天皇の政治利用そのものです。そういう逸脱は絶対に繰り返さないということです。
将来の展望――民主共和制の立場に立つが、その存廃は国民の総意で
志位 ずっと将来の展望としては、私たちは党の綱領に、私たちの立場として、「民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と表明しています。同時に、天皇の制度は憲法上の制度ですから、「その存廃――存続するか廃止するか――は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」と書いています。
このように、私たちは、ずっと将来の展望としては、天皇の制度は、世襲にもとづく制度ですから、「人間の平等の原則」と両立しない、だから民主共和制の実現をはかるべきだとの立場に立っています。民主共和制というのは、1776年のアメリカ独立革命で始まり、1789年のフランス革命などをへて、いまでは世界中のほとんどの国で行われている政治体制ですが、そういう体制の実現をはかるべきだとの立場に立っています。ただ、私たちとしてはそういう立場に立つけれども、天皇の制度は憲法で決められた制度ですから、かりに廃止するとなれば憲法改正が必要です。ですから、その「存廃」を決めるのは「国民の総意」だ――主権者である国民の総意にゆだねるということを綱領では明記しています。これはずっと先の話です。
三浦 共産党が政権をとったら、国家元首をどう位置付けますか。元首は総理大臣にしますか。
志位 国家元首についての憲法上の規定はないのですが、やはり内閣総理大臣だと考えます。
天皇は、憲法で「国政に関する権能を有しない」ということになっているわけですから、「外国の大使及び公使を接受する」(第7条9項)ことなどはありますけども、それもあくまで形式的なものであって、元首は内閣総理大臣ということになると考えます。
天皇を元首扱いし、事実上の政治的権能があるかのように扱ってしまうことは、憲法から逸脱することになります。
社会主義・共産主義の最大の特徴――「人間の自由で全面的な発展」
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志位氏は続けて、日本共産党がめざす社会像についての質問に答えました。
志位 もう一つの質問、「そもそも本当に共産主義をめざしているのですか」という根本的な質問にお答えします。
私たちは、社会主義・共産主義をめざしています。
それでは、日本共産党がめざす共産主義とは何か。さきほど格差の拡大や環境破壊など資本主義のいろいろな矛盾の話をしました。社会主義・共産主義とは、資本主義を乗り越えたその先の社会のことなのですが、その最大の特徴を一言でいうとどうなるか。
マルクス・エンゲルスという私たちの大先輩が2人で書いた『共産党宣言』という著作があります。そのなかに社会主義・共産主義について、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会」という特徴づけがあります。
「各人の自由な発展」=「人間の自由で全面的な発展」。すべての人間が、自らの能力を自由に全面的に発展させることができる社会。これこそが、マルクスとエンゲルスが、若い時期から、晩年にいたるまで、一貫して求め続けた人間解放の中心的な内容でした。
それでは、マルクスが「人間の自由で全面的な発展」の保障をどこに求めたのかといいますと、労働時間の短縮なんです。つまり、労働時間がぐーっと短くなり、たとえば1日3時間、週3日でももう十分やっていけるとなったら、自由時間がうんとできるではないですか。その自由時間を使って、すべての人間が自分の中に潜在的に眠っているいろいろな能力を存分に発展させることができる。(三浦「ピアノを弾くこともできる」)
そうですね。ピアノを弾くこともできるでしょうし、いろいろな学問をやることもできる。あるいは芸術もやることもできる。さまざまな知的な活動、あるいは肉体的な活動、それに自由に全面的にとりくみ、自分の能力をみんなが存分に伸ばすことができる社会になる。
資本主義のもとでは、いろんな能力や才能を持っていても、それを生かすことができなくて、埋もれてしまう人も少なくないですよね。ところが共産主義の社会では、みんなが自分のなかに眠っている能力や才能をのびのびと全面的に伸ばし、全面的に発展できる社会になる。
なぜ労働時間が短くなるか――搾取がなくなり、浪費が一掃される
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三浦 機会の平等というふうに聞こえますが、人間には生まれ持っての能力の差など、いろいろな差がありますが、その結果の平等はどうなるのでしょうか。
志位 人間は、一人ひとりが多様な能力や才能をみんな持っている。その多様な能力や才能を、あるがままに尊重することが大切であって、そこに順番をつけるのは、あまり良くないと思います。
さきほど私は、労働時間の短縮と言ったのですが、なぜ社会主義・共産主義になると労働時間が短くなるのか。
一つは、人間による人間の搾取がなくなるということです。資本主義のように、自分は働かないでもうけだけを吸い上げている人がいなくなるわけで、社会のすべての構成員が平等に生産活動にあたることになれば、一人ひとりの労働時間は大幅に短くなります。
二つ目は、資本主義につきものの浪費がなくなるということです。資本主義社会というのは、効率的なように見えてものすごい浪費社会なのです。たとえば、人間を浪費します。いまの日本を見れば一目瞭然ではないですか。人間を、どんどん「使い捨て」にして、「過労死」させているでしょう。マルクスも『資本論』のなかで「人間材料の浪費」「人間、生きた労働の浪費」という厳しい告発の言葉を書きつけています。
また、資本主義は、社会のあり方としても、さまざまな浪費を生みだします。資本主義のもとでは、恐慌・不況が繰り返し起こることを、止めることはできません。2008年のリーマン・ショックの時を見ればわかりますが、恐慌になったら、一方で失業者がいる。他方で工場は止まっている。とんでもない浪費です。
さらに、資本主義は、「大量生産・大量消費・大量廃棄」の社会をつくりだします。絶えず新しい商品が開発され、古い商品は十分に使えるのに捨てられて、不必要に新しい商品を買うことが強制される。
社会のあり方として、ものすごい浪費社会なのです。その浪費を本当に一掃することができたら、今の生産力の水準でも、ものすごく社会全体が豊かになることでしょう。
地球という星は、自然の条件としては有限です。この星で人類が生産力をただ量的な意味で無限に拡大することはできないでしょう。しかし、浪費をなくし、最小の力で、より人間的で合理的な形で、生産力の質を豊かにしながら発展させることはできる。それは労働時間をうんと短縮し、人間に自由に使える時間を保障することになるでしょう。
資本主義のもとで獲得した価値あるものを引き継ぎ、発展させる
志位 もう一つ、強調しておきたいのは、社会主義・共産主義の社会は、資本主義から生まれるわけです。資本主義を乗り越えたその先にあるわけです。資本主義とは別につくられるのではなく、資本主義と地続きでつながっているのです。
私が、みなさんにお伝えしたいし、固くお約束したいのは、日本共産党が、人類が資本主義のもとで獲得した価値あるものをすべて引き継いで発展させるという立場に立っているということです。先日、一部改定した党の綱領にも、より詳しくそのことを書き込みました。
たとえばさきほどお話しした自由と民主主義の制度です。これは資本主義のもとで、人民のたたかいによってつくられた制度です。これらは、すべて次の社会にも引き継ぎ、発展させ、豊かに花開かせるということを、党の綱領に明記しています。
それから人間の豊かな個性です。人類の歴史のなかでも、資本主義のもとで初めて、人格的に独立し、豊かな個性をもった自由な人間が、社会全体の規模で生まれてきます。この時代のもとで初めて、民主主義の感覚、人権の感覚、主権者意識、ジェンダー平等の感覚なども、人々のたたかいのなかでつくられていきます。奴隷制や封建制の時代にはなかったような人間の豊かな個性が生まれてくるのが資本主義の時代なのです。これらの豊かな個性も、次の社会に引き継がれ、搾取がない社会でより豊かに発展することになるでしょう。
資本主義のもとで、みんなの力でつくった価値あるものは、すべて引き継いで発展させる。これは私たちの党の綱領に明記していることで、みなさんにお約束したいことです。
資本主義のもっと先の社会に進んで、社会主義・共産主義になったら貧しい社会になってしまった、窮屈な社会になってしまった、そういうことは絶対に起こりえないし、起こさない。それは党の綱領に詳しく書いてあることなので、ぜひ見ていただきたいと思います。
社会が発展するとともに、人間の考え方、価値観も大きく変わる
生徒から、共産主義の社会像についての質問が出され、志位委員長が答えました。
生徒 共産主義にもしなったとして、人間というのは差があって、怠けてしまう人と、しっかり頑張る人がいると思うのです。その時に怠けてしまう人が、働かずに何かを得てしまったり、怠けた人と頑張った人と差が出てしまったりというのは、社会の発展を止めてしまうのではないかと思うのですが、その点についてはどう思いますか。
志位 社会主義・共産主義の社会になったとしても、自分自身と、その家族、社会全体の生活を維持し、再生産するための労働が必要となることに変わりはありません。ただし、そうした労働の性格は大きく変わるだろうという展望を、マルクスはのべています。
資本主義のもとでは、少なくない場合、労働自体が苦痛で、多くの人々が苦しみながら働いているけれども、社会主義・共産主義では、搾取がなくなり、労働者が、自発的に協力して働くようになるもとで、労働自体が喜びにみちた、楽しいものに変わる。マルクスはそのことを、「自発的な手、いそいそとした精神、喜びにみちた心で勤労にしたがう結合的労働」と言っています。
つまり、社会が発展するとともに、労働に対する人間の見方、考え方が大きく変わるだろう。あまり「怠ける」というようなことを心配する必要がなくなるのではないでしょうか。
さらに、さきほどお話ししたように、労働時間そのものが短縮されるもとで、誰もが自由な時間を手にすることになります。そうした自由な時間ができたら、その時間を遊んで暮らそうという人もいるでしょうし、それもいいんです。自由な時間ですから、何に使ったって自由です。ただやはり、そういう自由な時間ができたら、多くの人たちは、自分の能力を自由に全面的に伸ばすことに使うのではないでしょうか。
さきほど、マルクス・エンゲルスの「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件になる結合社会」という言葉を紹介しましたが、一人ひとりがその能力を自由に全面的に発展させることは、社会全体をうんと豊かにして、社会全体の力を大きく増すことになります。そして、そのことは、一人ひとりの自由な発展の条件をますます豊かにする。こういう好循環が生まれてくることを、私たちは展望しています。こうしたなかで、人間の考え方、人間の価値観も大きく変わってくるのではないでしょうか。
人類の歴史を考えてみても、原始共同体の時代があった、奴隷制の時代があった、封建制の時代があった、そしていまは資本主義の時代です。それぞれの時代ごとに、人間の価値観も大きく変わってきているでしょう。奴隷制や封建制の時代には、人間の「自由」や「平等」はおよそ問題になりませんでした。しかし、今日の時代では、それが世界の大きな流れになってきているではないですか。
人類が、いまの資本主義社会の「利潤第一主義」の仕組み、搾取の仕組みを乗り越えて、新しい社会に進んだら、新しい社会にふさわしい新しい価値観、新しい考え方、新しい生き方を人間はもつことになる。私はそう考えています。
(つづく)