2020年9月24日(木)
主張
民間人の戦争被害
国はこれ以上我慢を強いるな
アジア・太平洋戦争中、米軍の空襲などで多くの人が命や大切な家族を奪われ、心身に傷を負いました。その“深い傷”は、戦後75年を迎えた、いまも癒やされることはありません。ところが日本政府は、民間人や韓国など外国籍の人の戦争被害について補償に応じようとしません。そのかたくなな姿勢が被害者をさらに苦しめています。国による謝罪と補償なくして被害者の戦後は終わりません。政府は、高齢化する被害者の救済と被害の実態調査を早急に実施し、責任を果たすべきです。
「受忍論」固執道理なし
戦時中、日本の多くの地域は空襲や艦砲射撃などを受け、おびただしい犠牲と被害を出しました。しかし、政府は、民間の空襲被害者などに一切補償していません。
広島・長崎の原爆被爆者や地上戦に巻き込まれた沖縄県民の援護施策はつくられましたが、対象者は一部に限られました。一方、1952年以降、元軍人・軍属や遺族に対し戦傷病者援護制度を開始し軍人恩給も復活させました。現在まで支給額は60兆円を超えます。同じ敗戦国のドイツをはじめ欧米で「軍民平等」で補償していることと比べ違いが大きすぎます。
日本政府が、民間人の補償を拒む大きな理由が「戦争被害受忍論」です。“国の非常事態の下での生命、身体、財産の被害は国民が等しく受忍(我慢)しなければならない”との考えです。引き揚げ者らが敗戦で失った在外資産の補償を求めた裁判の最高裁判決(68年)で、原告の請求権を否定するため持ちだされ、国が戦争被害への国家補償を受け入れないことを“正当化する論理”として使われてきました。補償拡大につながらないようにするためです。軍関係者には補償しながら民間人に全く補償がないという理屈はそもそも成り立ちません。国に謝罪と補償を求める空襲被害者らの粘り強い運動が続いていますが、政府は「受忍論」の立場を崩しません。
広島地裁は7月、原爆投下直後に降った「黒い雨」被害について、国が決めた線引きを否定し、区域外の被害者を被爆者援護法の定める被爆者と認めました。原爆被害の範囲を狭めて、被爆者に我慢を強いる国の施策を批判する重要な判決です。国は「受忍論」に固執することをやめるべきです。
6歳の時、空襲で左足を奪われた被害者の安野(あんの)輝子さん(81)は「あの戦争で民間人も傷ついたのに、なぜこの国は排除し続けるのか。私たちにはもう時間がありません。命ある間に苦しみに見合った謝罪と補償を」と訴えます。植民地支配下の朝鮮で「日本人」として捕虜監視員に強制徴用され、BC級戦犯として裁かれた李鶴来(イ・ハンネ)さん(95)は「日本人の戦犯には恩給があるのに、なぜ差別するのか。あまりにも不条理ではないか」と声を上げています。これ以上の先のばしは許されません。
憲法の理念にもとづき
国が起こした戦争の被害者を差別し放置することは、平和主義と基本的人権の尊重を基本原理とする憲法の理念に相いれません。
超党派の空襲議員連盟は今月の総会で、一時金の支給対象を空襲や地上戦での身体障害者に限っていた法案素案を、精神障害者に枠を広げるよう修正しました。立法化は急務です。政府は一刻も早く被害者の願いに応えるべきです。