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2020年8月16日(日)

全国戦没者追悼式 平和誓う遺族語る

戦後75年 今も続く悲しみ

戦争は理不尽 9条改憲反対

 終戦から75年となった15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、全国から200人以上の遺族が参列しました。遺族に引き渡せなかった遺骨が納められている同区の千鳥ケ淵戦没者墓苑でも、家族連れや若者など多くの人が訪れ、花を手向け手を合わせました。今も消えない悲しみと、平和への思いを聞きました。(芦川章子、和田育美)


日本武道館

 新潟県南魚沼市の女性(75)は父(当時36)をフィリピン・ミンダナオ島で亡くしました。補給を無視した無謀な作戦で多数の餓死者・病死者を出した激戦地です。「お国のために」と戦場に向かった父は「水一滴も飲めず」に亡くなりました。

 「かわいそうなんて言葉では片付けられない。75年たっても悲しみは癒えない」と声を詰まらせます。再び「戦争する国」へとつながる9条改憲には「絶対に反対。これからの若者に戦争なんて絶対にさせちゃいけない」と語気を強めます。

 滋賀県近江八幡市の男性(64)は、叔父が25歳で戦死し、父親は3年間シベリア抑留を体験しました。「(叔父が)怒っている姿は一度も見たことない」という父の言葉が今も心に残ります。

 「兵隊だけじゃなく、小さい子や普通の人も戦争の犠牲になった」と胸を痛めます。「自分も他人も共に助け合って生きていかないといけない。笑っていられることが平和だよね」とにこやかに話します。

 川崎市に住む女性(75)は兄(当時21)を失いました。輸送船の上で戦死したとされ、場所は「南方洋上」とだけ伝えられました。「母はすごく悲しんでいた。戦争はやってはいけないと後世に語り継ぐためにも、式典は続けてほしい」

 千葉県銚子市の男性(77)の父(当時30)はビルマ(現ミャンマー)で戦死し、遺骨すら戻っていません。農家の長男だった父の死後、農業を守るため母と懸命に生き抜いてきました。「日本の侵略戦争のために、大勢の若者が死んだ。戦争にくみしてはいけない」

 愛知県北名古屋市から参加した女性(75)は、父がフィリピンの船上で戦死し、面識はありません。「母も生きることに必死だったから、父の話はあまりしなかった」とふり返ります。みんなが飢えていた時代。両親がいれば生活は違っていたのでは、という思いは消えません。

 「戦争は理不尽。あってはいけない。憲法9条は変えてはいけないし、広島や長崎のことを安倍首相はもっと世界に発信してほしい」と語りました。

千鳥ケ淵墓苑

 夫婦で訪れた都内の保育士の男性(49)は、祖父が戦死しました。「父が2歳の時。父からよく聞かされていた。祖父のためだけでなく、皆のために手を合わせた。戦争のことは自分の子どもたちにも話しています」

 一緒に参拝した妻(45)=フリーランスのデザイン業=は「毎年来ている。来なければいけないと思って。東京大空襲の話を聞いて育ったので、戦争は反対して当然と思っていたが、おとなになった今、そうじゃない声がある。当たり前のことは当たり前ではない。今の平和をつないでいかないといけない」と汗を拭いながら語りました。


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