2020年5月24日(日)
新型コロナが問う日本と世界
「社会が存在する」 英首相発言 背景は…
新型コロナウイルスに感染し生還したイギリスのボリス・ジョンソン首相が、自己隔離中にビデオメッセージで「社会というものがまさに存在する(there really is such a thing as society)」と発言したことが関心を引きました。
国際的にも注目
この発言が国際的にも注目されたのは、大きな背景があるからです。
英紙「ガーディアン」(3月29日付)は、ジョンソン首相のメッセージを報じた中で「首相は、彼の保守派の先祖であるマーガレット・サッチャーによる1987年の純潔個人主義への支持―『社会なんてものは存在しない(there is no such thing as society)』という雑誌での発言を否定した」としました。サッチャー元首相の言葉とは、「社会なんてものはない。あるのは個々の男たちと女たち、家族である」というもの。戦後イギリスの福祉国家体制を否定し、徹底した個人の「自己責任」を強調する新自由主義の「哲学」を表明したものでした。
新自由主義とは、「市場原理至上主義」ともいわれるように、すべてを市場の競争に任せ、資本=企業に対する規制は少ないほど良いという主張と政策です。
労働力の売買=雇用をめぐる規制緩和が重要な内容で、派遣労働をはじめとする非正規雇用の拡大や労働時間規制の緩和が進められてきました。巨大企業の税負担、社会保障負担の軽減と一体に社会保障そのものを削減し、個人や中小企業を守るための企業活動に対する規制も徹底的に緩和してきました。
「NHSを守れ」
ジョンソン首相は保守党党首で、「サッチャー哲学の継承者」「新自由主義の申し子」と目されてきた人。そのジョンソン首相が、「コロナウイルスは『社会というものがまさに存在する』ことを証明した」と発言し、「われわれのNHS(国民保健サービス)を守れ」と発信したことが、驚きをもって受け止められたのです。
揺らぐ新自由主義
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早稲田大学の小原隆治教授(地方自治)は、イギリスのエディンバラでの在外研究から3月29日に帰国しました。帰国直前の2週間、イギリス政府がそれまでの放任政策から急激にロックダウン(強制封鎖)と休業補償に政策転換したのを目の当たりにしました。
小原氏は「ジョンソン首相が、インペリアル・コレッジ・ロンドン専門家チームの科学的知見にきちんと耳を傾け、労働党のコービン党首のお株を奪うかのように『われわれのNHS(国民保健サービス)を守れ』と訴えたときには、耳を疑った」と語ります。
ジョンソン首相はコロナ対策をめぐり、当初、「なすがままに(レッセフェール)」で集団免疫獲得「戦略」を打ち出しましたが、専門家の意見を聞き「感染抑止」に政策を急転換させました。その中でジョンソン首相は、ロックダウンと合わせて、給与所得者や自営業者に所得の8割を給付するなど手厚い損失補償も約束したのです。
小原氏は「『社会は存在する』という発言と一連の政策転換を合わせて考えると、サッチャー政権以来、とくに保守党政権で進められてきた新自由主義路線からの転換のようにも受け取りうる」と述べます。
“連帯が必要だ”
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『イギリスの選挙制度』の著書がある小松浩立命館大学教授(憲法学)は、ジョンソン首相は昨年7月の就任以来、EUからの「合意なき離脱も辞さない」という過激な言動で知られ、「9月には、合意なき離脱を阻止しようとする議会が審議できないようにするために議会を閉会した」と指摘します。
さらに「過半数議席の獲得を目指し解散・総選挙を行おうとしました。そのためには任期固定制議会法に基づき庶民院(下院)の3分の2の賛成が必要でしたが、これが3度否決されたことから、12月には、新たに過半数の賛成で解散できるとする法案(早期議会総選挙法案)を提起し、任期固定制議会法を無視して『脱法』的に解散するなど、その非民主的運営が批判されてきた」と解説します。
「そのジョンソン首相が『社会はある』などといっても、額面通りに受け止められないかもしれない」としつつ、保守党政権の政策とは思えないNHSの保護・振興や休業補償政策などをみると、「ジョンソン首相の『本心』はともかく、この間のコロナとのたたかいで、『人は1人では生きられない』『連帯が必要だ』と再認識したのではなかろうか」
新型コロナウイルスに感染し、一時はICU(集中治療室)に入り「助からない可能性があった」というジョンソン首相は退院の日(4月12日)、看護に尽くしてくれたNHSのスタッフの名前を一人ひとりあげ「一生感謝する」と表明。「NHSは脈打つこの国の心臓であり、この国の最良の部分だ」と述べました。
「社会はある」と、社会の再発見を語ったジョンソン首相の言葉は、新自由主義へのインパクトとなりました。コロナ危機がいま、世界中で新自由主義の世界観を揺さぶっています。国は個人と社会を守るために、公衆衛生、医療、介護などの社会保障システムを守り、倒産、失業の危機から国民を救わなければならない―と。
財界への従属性
日本ではどうか。
小原氏は「自治体間で良い政策を競い合うことは相互に政策波及効果をもたらす。だが、自治体間には財政力に格差があり、この間の地方公務員削減など新自由主義的な改革で疲弊している自治体も多い。どこでも十分なコロナ対策ができるわけではない」と語ります。
同時に「自治体間の政策の差は、営業・外出規制のより弱い所へ、補償の手厚い所へと、感染拡大を抑えるにはもっとも避けるべき『人の移動』を生み出す。政府による全国一律ナショナルミニマムの営業・外出規制と手厚い補償のセットをまず実現し、自治体政策はその次だ」と述べます。
しかし、政府は補償に一貫して後ろ向きです。
小松氏は「コロナウイルスとのたたかいで、各国首相の支持率は上昇しているのに対し、日本の安倍首相は、休業補償に冷淡で、『自粛を決めたのはあなた。責任もあなたにある』と言わんばかりで、究極の新自由主義的『自己責任』論だ。これでは支持率を落とすのも当然」とし、「憲法25条の生存権の保障に基礎を置く政治に今こそ転換すべきだ」と強調します。
頑強なまでに補償に後ろ向きな政権の姿勢の根本には、新自由主義と同時に、日本独特の財界への強い従属性もあるように思われます。(中祖寅一)