2019年11月3日(日)
主張
文化の日
力合わせ表現の自由を守る時
きょうは、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」(祝日法2条)と定めた文化の日です。1946年のこの日、日本国憲法が公布されました。いま安倍晋三政権の下で、憲法21条の「表現の自由」を脅かし、文化の日の趣旨に反する問題が相次いでいることは深刻です。
文化庁は文化を守れ
最大の問題は、文化庁が9月、国際芸術祭・あいちトリエンナーレへの補助金の全額不交付を決めたことです。事の発端は、8月1日から公開された「表現の不自由展・その後」が、脅迫などでいったん公開中止になったことです。
文化庁は、不交付の理由に「展示会場の安全や事業の円滑な運営を脅かすような重大な事実」を認識しながら、その事実を申告しなかったことなどを挙げています。
しかし「不自由展」は、トリエンナーレの企画の中の一つにすぎません。その「不自由展」も実行委員会が対策を講じ、10月8日から再開されました。全額不交付の理由は成り立ちません。
重大なのは、文化庁の決定がテロ予告や脅迫の被害者に責任を押し付け、加害者の行為を追認したことです。補助金の審査委員会に諮らず、会議の議事録もないなど、決定過程も不透明です。
文化庁の仕事は本来、「文化の振興」や「国際文化交流の振興」などを図ることです。
国の文化政策の根幹をなす文化芸術基本法は、前文で「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重すること」を旨とすると明記しています。
文化庁には暴力から表現の自由を守る責任があります。それを放棄した今回の決定は、テロ予告や脅迫を行えば事業を中止させ、主催者に打撃を与えられるというあしき前例となります。安倍政権は不当な決定を撤回すべきです。
作品の「政治的メッセージ」を問題視する向きもあります。しかし、ピカソの絵画「ゲルニカ」のように、政治的メッセージは表現の自由の核心部分です。文化支援に際し、専門家の判断に任せ、国や地方自治体が「金は出しても口は出さない」原則を貫いてこそ、多様な芸術表現が開花します。
ところが、文化庁所管の日本芸術文化振興会は9月、芸術文化振興基金の「交付要綱」を「公益性の観点」から「不適当とみられる場合」は交付の内定や決定を取り消せるよう改定しました。そして、すでに交付が内定していた映画「宮本から君へ」について、麻薬取締法違反で有罪判決をうけた俳優の出演を理由に取り消しました。
「公益性」というあいまいな理由づけは、拡大解釈の危険をはらんでいます。2012年の自民党憲法改正草案が「公益及び公の秩序」を持ちだして「表現の自由」に制約を加える内容だったことを想起せざるをえません。
民主主義崩す萎縮の空気
川崎市で開催中の映画祭では、「慰安婦」問題を扱った映画「主戦場」について市が主催者に懸念を伝え、一度は上映中止になりました。三重県伊勢市の「市展」で少女像の写真を使った作品が展示できなくなる事態も起きています。
「表現の不自由」が広がり、社会に萎縮の空気がまん延すれば、民主主義の土台が崩れます。今こそ力を合わせ、表現の自由、芸術の自由を守り抜くときです。