2019年10月31日(木)
シリーズ現場から考える日韓の歴史
福岡・三井三池炭鉱 徴用工
企業・市と一緒に建立
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世界遺産・三井三池炭鉱で、過酷な労働のすえ命を落とした徴用工の「慰霊碑」が、福岡県大牟田市にあります。建立団体「在日コリア大牟田」代表の禹判根(ウ・パングン)さん(81)は、徴用工訴訟で再び日韓関係が冷え込む今、歴史の真実を見てほしいといいます。
落書きと旭日旗
大牟田市甘木(あまぎ)公園の「徴用犠牲者慰霊碑」は、戦前に朝鮮半島から連行され、三井三池炭鉱(同市)などで亡くなった徴用工のため、1995年に建立されました。
2015年10月に、日本語の碑文が黒い塗料で塗りつぶされているのを市民が発見。碑には「全部うそ!」と落書きがされ、側面には旭日旗が貼りつけられていましたが、犯人は逮捕されませんでした。
同炭鉱が1955年に朝鮮総連に渡した名簿によれば、炭鉱全体で2千人以上の徴用工が存在。死者は34人とされています。一方、炭鉱内の万田坑(熊本県荒尾市)が46年、当時の厚生省に行った報告では、同坑だけで37人が死亡したとされ、動員数・死者数はさらに多い可能性もあります。
禹さんは5年間、三井系企業に通いつめて「慰霊碑」の建立を説得。韓国の驪州(ヨジュ)郡(現在は市)で造られた「慰霊碑」は、企業が全費用を負担し、大牟田市が無償で土地を提供しました。
在日団体と企業、行政の名前が並ぶ建立文を指し、禹さんは「これが大事。企業と行政が責任をとって、在日と一緒に建てた」と強調します。今年で24回目となった「慰霊祭」には、同市長や市議会議長も訪れました。
企業も私も泣く
碑を前に、禹さんは95年の除幕式の様子を話してくれました。会場で企業側の代表を紹介すると、元徴用工に一触即発の空気が流れました。
「3人の企業代表が元徴用工10人の前で『直接私たちがしたわけではないが、うちの企業がした。今こうして慰霊碑を建てました』『ビールを注がせてください』と言った。すると元徴用工のほぼ全員が杯を受けた。1人、『俺は死んでもおまえの酒はもらわん』という人もいたけど、企業側がこれで帰りますと言ったら、9人が立ち上がって彼らを見送った。企業側も泣く、私も泣いた」
15年7月に三井三池炭鉱が世界遺産に登録された際、登録決定後の演説で日本政府は「朝鮮半島の多くの人々が意思に反して連行された」と明言しています。
禹さん自身も、元徴用工の男性をみとりました。「その方は日本に17歳で連れてこられた。生活保護を受けていて、亡くなる前に病院を見舞うと、私の手を握って『俺、国に帰りたい。生まれ故郷に帰りたい』と泣かれました。戦争ほど残酷で悲惨なものはない。その戦争は誰がしたかということを考えてほしい」(岡本あゆ)