2006年5月28日(日)「しんぶん赤旗」

教育基本法改悪案

教育内容への国家介入の歯止めなし

―最高裁判決(76年)を曲解した政府見解をあばく

衆院特別委 志位委員長の質問(要旨)


 日本共産党の志位和夫委員長が二十六日の衆院教育基本法特別委員会でおこなった、教基法改悪法案についての質問(要旨)を紹介します。

「教育は政治的な力に左右されるべきではない」――現行法の立法者意思   

 志位和夫委員長 教育基本法にかかわる議論をすすめるうえで、この法律が一九四七年に作られたさいの立法者の意思がどこにあったかを、ふまえた議論が重要であることは、論をまちません。ここに、当時発行された『教育基本法の解説』という冊子の復刻版があります。著者は、当時の文部省内に設置された「教育法令研究会」であり、その監修者は、教育基本法制定に直接かかわった当時の文部省調査局長の辻田力氏と東京大学教授の田中二郎氏であります。私は、これは、基本法の立法者意思を私たちに伝えてくれる第一級の文献だと思います。

 この冊子では、政治と教育の関係についても、つっこんだ考察を加えております。つぎのような印象深い節があります。

 「民主主義の政治も民主主義の教育も、個人の尊厳を重んじ、国家及び社会の維持発展は、かかる個人の自発的協力と責任によって可能であるという世界観の上に立ち、政治はそれをいわば外形的現実的に、教育はそれをいわば内面的理想的に可能にするものである。しかし、政治と教育との間には一つの重大な相異点が認められなければならない。即ち政治は現実生活ことに経済生活をいかにするかを問題とするのであるが、教育は現在より一歩先の未来に関係する。教育はあくまで未来を準備するのである。社会の未来に備えることが、教育の現在なのである。この政治と教育との本質的な相異からして、政治が現実的な力と大なる程度において妥協しなければならないのに対して、教育は政治よりも一層理想主義的であり、現実との妥協を排斥するという結果が生ずるのである。民主主義に則る政治は、政党の発生を必然的に伴い、政党間の競争と妥協によって運営されるのであるが、教育はたとえ民主主義下においても、そのような現実的な力によって左右されないことが必要なのである。そこで政治と教育とが同じく国民全体に対して責任を負う関係にありながら、その関係に両者差異が認められなければならないのである」

 これは今日読み返してみても、いまでも通用する大切な考え方をのべたものと思いますが、大臣もそうお思いになりませんか。

 小坂憲次文部科学相 教育の果たす役割、それからわれわれの政治家として今日的な課題に日々対処していくこの姿勢、そういう意味では教育は理想を求め、そして人格の完成をめざして行われるものですから、いまご指摘のような考え方というものがあって当然だと思います。

10条改変の理由についての政府説明――最高裁判決が根拠になるか

 志位 いま大臣は、この考えは「当然の考え方だ」とおっしゃいました。この『解説』ではいまの文章に続けてこうのべております。

 「この趣旨を表すために(教基法第一〇条で)『不当な支配に服することなく……直接に……』といったのである」。大臣は「これは当然の大事な内容」とおっしゃった。そうだとすると、なぜ一〇条から、「国民全体に対し直接に責任を負う」という文言を削除するのか。これは理屈がたたないではありませんか。

 そこであらためて大臣に聞きたい。政府の法案が、現行基本法の一〇条、すなわち「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」から、「国民全体に対し直接に責任を負う」を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより」に置き換えているわけですが、なぜでしょうか。その理由をきちんと説明していただきたい。

 文科相 ご指摘のように現行法では、「教育は不当な支配に服することなく」、と規定し、教育が国民全体の意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除し、教育の中立性、不偏不党性を求めているわけであります。このことは今後とも重要な理念であると考えております。

 なお一部の教育関係者等によりまして、現行法の第一〇条の規定をもって、教育行政は教育内容や方法にかかわることができない旨の主張が展開されてきたところです。このことに関しては、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は、不当な支配とはなり得ないこと、また国は必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有すること、が明らかにされているところです。今回の改正におきましては、最高裁判決の趣旨を踏まえまして、不当な支配に服してはならない旨の理念を掲げつつも、教育は法律に定めるところにより行われるべきと、新たに規定したわけでありました。このことにより、国会において制定される法律に定めるところにより行われる教育が不当な支配に服するのではないことを明確にしたものであります。

 志位 要するに今の答弁は、法改定を行う理由として二つの点を言われたと思います。第一は、「国会において制定される法律に定めるところにより行われる教育が、不当な支配に服するものではない」という主張であります。第二は、「国は必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」というものであります。

 いまの答弁はその根拠をもっぱら一九七六年の最高裁大法廷における、いわゆる学力テスト判決に求めております。この最高裁判決には私たちが肯定できない弱点も含まれておりますが、政府の法案は、この最高裁判決に照らしても説明のつかないものになっていると、私は思います。以下、一つ一つ問題点を具体的にただしていきたいと思います。

「国が教育内容について何でも決められる」は最高裁判決が退けた見解        

 志位 第一の問題です。「法律に定めるところにより行われる教育が、不当な支配に服するものではない」という政府の主張について検討したいと思います。

 政府が引用した七六年の最高裁判決は、判示事項の冒頭部分で「子どもの教育の内容を決定する権能が誰に帰属するとされているか」という問題について、「二つの極端に対立する見解」があることを指摘しております。その一つが、最高裁がつぎのように特徴づけている当時の政府・文部省の見解であります。

 「一の見解は、子どもの教育は、親を含む国民全体の共通関心事であり、公教育制度は、このような国民の期待と要求に応じて形成、実施されるものであって、そこにおいて支配し、実現されるべきものは国民全体の教育意思であるが、この国民全体の教育意思は、憲法の採用する議会制民主主義の下においては、国民全体の意思の決定の唯一のルートである国会の法律制定を通じて具体化されるべきものであるから、法律は、当然に、公教育における教育の内容及び方法についても包括的にこれを定めることができ、また、教育行政機関も、法律の授権に基づく限り、広くこれらの事項について決定権限を有する、と主張する」

 最高裁判決は、この見解に続いて、これに対立する見解を紹介したあとでこう述べています。「当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える」

 すなわち、法律は、教育内容と方法について何でも決定することができ、教育行政機関は、法律にもとづく限り教育内容と方法について何でも決定することができるという立場を、最高裁判決は「極端かつ一方的」と退けているわけですが、この事実はまちがいありませんね。

 文科相 そういう事実関係の是非について、私はこの裁判そのものを全部学んでいるわけではございませんが、私は教育内容にたいして国家的な介入については、政党政治ということでありますから、これは抑制的であるべきだというふうには思っております。

 志位 政党政治が抑制的であるべきということは後で議論します。今の、私が読み上げたことの事実関係はお認めになりますね。

 文科相 判決の中にはそのように記述されております。

法令にもとづく教育行政機関の行為も、「不当な支配」になりうる

 志位 もうひとつ聞きましょう。この最高裁判決は、「教育基本法一〇条の解釈」でつぎのように述べております。

 「同条項(基本法一〇条一項)が排斥しているのは、教育が国民の信託にこたえて…自主的に行われることをゆがめるような『不当な支配』であって、そのような支配と認められる限り、その主体のいかんは問うところではないと解しなければならない。それ故、論理的には、教育行政機関が行う行政でも、右にいう『不当な支配』にあたる場合がありうることを否定できず、問題は、教育行政機関が法令に基づいてする行為が『不当な支配』にあたる場合がありうるかということに帰着する。思うに、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここにいう『不当な支配』となりえないことは明らかであるが、上に述べたように、他の教育関係法律は教基法の規定及び同法の趣旨、目的に反しないように解釈されなければならないのであるから、教育行政機関がこれらの法律を運用する場合においても、当該法律規定が特定的に命じていることを執行する場合を除き、教基法一〇条一項にいう『不当な支配』とならないように配慮しなければならない拘束を受けているものと解されるのであり、その意味において、教基法一〇条一項は、いわゆる法令に基づく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない」

 これまで政府は、この学テ最高裁判決の中から、「法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は『不当な支配』とはなりえないとしている」という部分だけ抜き出しているんですが、それはごく一部分です。この文章の結論は、今読み上げたように、法令にもとづく教育行政機関の行為も、「不当な支配」にあたる場合がありうるということを述べているわけです。そう述べていることは間違いありませんか。

 文科相 この部分の記述のみで判断するならば、それは教基法一〇条一項はいわゆる法令にもとづく教育行政機関の行為にも適用があるものといわなければならない、と書いてありますから、そのとおりであります。

 志位 そうしますと政府の立場に大きな矛盾がうまれてきます。政府は、「法律に定めるところにより行われる教育は、不当な支配に服するものではない」という主張を、最高裁の判決から導きだしたとしているわけです。ところが最高裁の判決は、法令にもとづく行政機関の行為にも一〇条一項は適用があるといってるわけですから、これは「最高裁判決の趣旨をふまえる」といいながら、その内容を百八十度ねじまげた、改ざんしたといわなければなりません。

「教育内容に対する国家的介入は抑制的であるべき」――政府は重く受け止めよ  

 志位 第二の問題にすすみます。政府が最高裁判決から「国は、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有する」という文言を引用し、現行基本法一〇条を改定する根拠においていることについて検討したい。政府は、この一文だけを引用し、最高裁判決はあたかも、国が教育内容について自由な決定権をもつことを認めたかのようにいいますが、判決はそうなっておりません。この一文に続けて最高裁判決はつぎのような見解を表明しております。

 「政党政治の下で多数決原理によってされる国政上の意思決定は、さまざまな政治的要因によって左右されるものであるから、本来人間の内面的価値に関する文化的な営みとして、党派的な政治的観念や利害によって支配されるべきでない教育にそのような政治的影響が深く入り込む危険があることを考えるときは、教育内容に対する右のごとき国家的介入についてはできるだけ抑制的であることが要請されるし、殊に個人の基本的自由を認め、その人格の独立を国政上尊重すべきものとしている憲法の下においては、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されない」

 要するに、判決は、教育内容にたいする国家的介入は一切排除すべきだとはいっていないけれども、「できるだけ抑制的でなければならない」と書いてある。これは憲法の要請として判決に明記されているものです。政府はこれは重く受け止めなければならないと考えますが、いかがでしょう。

 文科相 志位委員は判決をお読みになるときに、ご自身のお考えに沿った部分だけをお読みになって、それに続く部分をお読みになっていないように思うんですね。例えば今お読みになった最後の部分、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができるとおっしゃいましたけれども、「これらのことは前述のような子どもの教育内容に対する、国の正当な理由に基づく合理的な決定権能を否定する理由となるものではないといわなければならない」というふうに書いていまして、今おっしゃっていることは最後の部分で否定をされているわけです。

 志位 教育内容にたいする(国家的)介入が一切排除されるという見解は、たしかに最高裁の判決でも否定されていると、私は、さっきいったでしょう。しかし、「抑制的でなければならない」と書いてあるわけですよ。これは最後の文章でも否定はされていません。最高裁の判決は、抑制は一切なくてもいいということが書いてあるということですか、そうではないでしょ。そこを聞いているんです。「抑制的でなければならない」と述べていることを重く受け止めるべきだと言っているんです。ちゃんと答えてください。

 文科相 先ほど申し上げましたけれども、その政党政治というものにおいて、国家的介入については、できるだけ抑制的であることが要請されるということは否定はされません。しかし、一方で、このことが子どもの教育内容にたいする国の正当な理由にもとづく合理的な決定、権能を否定する理由とはならないというふうに結論づけているわけですし、この判決はあくまでも、国民全体の意思を組織的に実現すべき立場にある国が、必要かつ相当と認められる範囲内において教育の内容を決定する権能を有することを前提としているものであることも事実です。

 志位 答弁ではっきりと、教育内容にたいする国家的介入はできるだけ抑制的でなければならないと、このことは否定されていないとおっしゃいましたね。これは認められたと思います。

 つまり、(国は)教育内容にたいして、一定の範囲内での関与はできる、しかし、それは抑制的でなければならないというのが、この判決なんですよ。

現行基本法10条こそ、国家的介入を抑制的にする保障

 志位 そのうえで、最高裁の判決は、教育内容にたいする国家的介入を抑制的にする保障を現行基本法のどこに求めているか。判決では、現行基本法第一〇条について、この条項によって「教育内容に対する行政の権力的介入が一切排除されているものであるとの結論を導き出すことは、早計」としながらも、つぎのようにのべています。

 「子どもの教育が、教師と子どもの間の直接の人格的接触を通じ、子どもの個性に応じて弾力的に行われなければならず、そこに教師の自由な創意と工夫の余地が要請されることは、原判決の説くとおりであるし、また、教基法が前述のように戦前における教育に対する過度の国家的介入、統制に対する反省から生まれたものであることに照らせば、同法一〇条が教育に対する権力的介入、特に行政権力によるそれを警戒し、これに対して抑制的態度を表明したものと解することは、それなりの合理性を有する」

 すなわち最高裁の判決は、教育内容にたいする国家的介入については、できるだけ抑制的であるべきだという憲法の要請を保障するものが、現行教育基本法の一〇条であるとのべています。

政府案には、国家的介入を抑制的にする条文・条項がどこにあるか

 志位 そこで大臣にうかがいたい。政府案は、現行基本法一〇条を改変することで、最高裁判決のいう「教育内容に対する国家的介入を抑制的」にする保障を取り払ってしまったのではないか。先ほど大臣は、国家的介入は抑制的でなければならない、これは否定されない、その通りだとおっしゃいました。しかし、それを取り払ってしまったのではないか。

 そうではないというなら、私は聞きたい。今度出された政府案のいったいどこに、教育内容にたいする国家的介入を抑制的にする条文、条項がありますか。具体的にお示しください。

 文科相 現行法一〇条は今回の規定のなかでどのようになっているかということですが、第一六条に「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」ということで、抑制的という意味は「公正かつ適正に行われなければならない」ということで明確に規定されているところであります。

 志位 「公正かつ適正」が、抑制の保障になどなり得ません。どんな行政でも「公正かつ適正」に運営されなければならないのは当たり前です。しかも、これは国と地方公共団体が、「適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に」行うと言っているのであって、つまり国がそういう教育行政を行うさいに「公正かつ適正」にやると言っているだけであって、国家的介入を抑制する文言にはなり得ないじゃないですか。どこに(抑制の条項が)あるんですか。もう一度言ってください。

 文科相 ここに一六条に規定してあることをもう一回読みますけれども、「教育は不当な支配に服することなく」と言っているんですね。「不当な支配に服することなく」適正に行われなければならない。これはすなわち、そういった意味で、「不当な支配に服することなく」適正に行われるということにおいて、そういった抑制的な、国家のいろいろな不当な支配というものも、法律にもとづかなければやってはならないという意味で、抑制的なものが規定されていると解釈するのが適当だと考えております。

 志位 「不当な支配」をもって、それを抑制の条項だというのは、まったくあなたがたの論理破たんです。なぜなら、政府は「法律に定めるところにより行われる教育は、不当な支配に服するものではない」と主張しているではないですか。つまり、政府は、国の行為は「不当な支配」の範疇(はんちゅう)に属さないと言っている。だから、あなた方の論理から言ったら、「不当な支配」といくら言ったところで、国家的介入を抑制する担保にはなり得ないんですよ。

憲法の要請――教育の自由、自主性、自律性に反する法案         

 志位 この質疑を通じて明りょうになった問題があります。最高裁判決も、「国家的介入は抑制的でなければならない」と言った。そして、あなたもお認めになった。にもかかわらずこの法案には、その抑制条項は一つもありません。すなわち国家権力が無制限、無制約に教育内容や方法に介入できるというものであって、これは憲法の要請に反する、教育の自由、自主性、自律性に反する法律だということを強く主張し、廃案を求めて、私の質問を終わります。


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