2006年5月21日(日)「しんぶん赤旗」
いま注目される
尾崎行雄の憲法観
九条の戦争放棄が“花”
“議会政治の父”といわれる尾崎行雄の憲法観がいまあらためて注目を集めています。日本国憲法制定から満六十年の五月、改憲論議がかまびすしいなかで光が当たる尾崎の憲法論を振り返ってみました。
高い代償を払い
尾崎行雄の孫娘にあたる原不二子さん(尾崎行雄記念財団常務理事)が、いまなぜ尾崎の憲法観を振り返る意味があるのかを『世界と議会』誌五月号に記しています。
「戦争を知らない人が多数を占める今日、憲法に関心が薄いのも仕方がないかもしれませんが、尾崎にしてみれば、この憲法は何百万人の命を失い、無条件降伏という前代未聞の不名誉という高い代償をはらってやっと手にした宝物だったのです」
尾崎行雄は日本国憲法が施行された一九四七年五月三日、東京・皇居前広場で開かれた「新憲法発布祝賀会」で列席した吉田茂首相らの前で祝辞をのべました。ほどなく著した『民主政治読本』で憲法に盛り込まれた理念と思想について次のように高く評価しています。
「おそらく、世界中にこんな高い代償をはらった憲法はあるまい。ただでもらったなどと思ったら、ばちがあたる」
「その代償はいかに高かろうとも、幸にこの憲法を活用して、日本を立派な平和国家としてたてなおすことができさえすれば、われわれの子孫は決して高すぎたとはいわないであろう。新憲法こそは、日本の前途をてらす光明である。新日本を祝福する天来の福音である」
そのうえで尾崎は「この憲法を正しく使いこなしてゆきさえすれば、日本が世界中から親愛される、立派な平和国家になれることは一点の疑いをいれない」と国際協調と平和主義という普遍の価値観に信頼を寄せていました。
二つの「フセン」
憲法九条の戦争放棄条項について尾崎は「新憲法の花」とし、国民の権利・義務を規定した第三章については「新憲法の実」とのべ、「兵役の義務がなくなった点が特に目について、まことに感慨無量である」と付け加えました。
尾崎は日本国憲法をただ礼賛していただけではありません。憲法を守り、育て、その理念と思想を政治と国民が実践していく重みを説いていました。
「日本人の生活のあらゆる面において、われわれが真の平和愛好者であることを、実践を通して証明しなければならぬ」「この憲法が猫に小判を、豚に真珠を与えたような、宝の持ちぐされにならないことを切に祈る」(以上、尾崎の原文は旧仮名遣い)
尾崎行雄記念財団の石田尊昭事務局長は「尾崎は、その理想とした『二つのフセン』、普選と不戦の思想、つまり民主政治と軍縮平和が、日本国憲法を通じて制度として実現したと歓迎したわけです。ただ憲法がうたう民主政治も軍縮平和も国民や政治家自身が、その実践を通じて、その中身を培っていかなくては実を結ばないと尾崎は強調しています。憲法論議がさかんないま、この憲法精神が声高に叫ばれていいのではないでしょうか」と話しています。
尾崎行雄(号は咢堂=がくどう) 一八五八―一九五四年 帝国議会の第一回衆院選挙(一八九〇年)で三重県選挙区で当選、文部大臣、司法大臣を歴任。大正期の護憲運動、普選運動に参加。第二次大戦中の一九四三年、東条英機首相の翼賛選挙を批判し、不敬罪で起訴。連続当選二十五回、議員在職六十三年。