2005年12月19日(月)「しんぶん赤旗」

列島だより

地域再生へ歴史遺産生かす


 「歴史的な遺産を後世に残し、それを街づくりや地域再生に生かしたい」―そんな取り組みがすすんでいる広島県福山市と群馬県富岡市の例を紹介します。


■広島・福山市 鞆の浦

■鞆(とも)の心残したい 埋立て・架橋計画に反対署名の運動

■環境が壊れる

表

 広島県福山市鞆(とも)町の鞆の浦は、潮待ちの港(注)として「万葉集」にも歌われ、歴史的景観と中世からの街並みを残しています。

 一九八三年策定以来、二度規模を縮小した鞆港埋め立て・架橋計画(工期は最短で十二年)は、港の約二ヘクタールを埋め立て縮小、長さ約百八十メートルの県道バイパスを通すというもの。街並み保存にとりくむNPO法人鞆まちづくり工房の松居秀子代表は「公害をともなう危険な道路に囲まれたら環境が壊れ、心まで壊される。子どもたちに鞆の心を残さなければ」と言います。

 出勤時の渋滞解消や防災など住民の願いを逆手にとって、市は「埋め立て・架橋ができなければ、ほかの街づくりの課題は進めない」という姿勢で、安全な暮らしや観光資源の保全を求める住民との対立を生んできました。

 日本共産党市議団は、計画の白紙撤回とともに、(1)街並み保存事業の再開(2)電柱の地中化や空き地を利用した離合場所の確保(3)防火用水や消火栓の増設―など住環境の改善を要求し続けています。

 いったん計画の凍結を打ち出した三好章前市長の急死後、昨年九月の市長選で当選した鞆町出身の羽田皓市長は今年六月議会の冒頭、「住民との合意形成をはかり、事業推進に取り組む」と表明。「圧倒的多数の住民が求めている」などと詭弁(きべん)を繰り返す手法で、関係住民の同意を得ないまま強行する構えです。

 「鞆を愛する会」(大井幹雄代表)は、山側に約一・七キロのトンネルを通す計画を代替案として検討するよう県や市に再三要請し、「まちづくりの提言(改訂版)」を今年八月に提出。賛同する八つの住民団体とともに、提言を受けて有識者や住民が検討する公開の場を設置するよう求める署名運動を始めました。

 「鞆の自然と環境を守る会」の鈴木辰夫代表は「あつれきのなかで黙ってきた住民が何百年もの暮らしや文化に目を向けようと、町づくりが緒についた感じがする」と語ります。

■国際会議も決議

 地権者の一人で、十年ほど前まで埋め立て・架橋に賛成だった浜本仁司さんは「トンネル案が出され、これが最良だと大きく考えを変えた」と言います。

 景観を壊す建物の変更命令が出せる「景観法」の全面施行で、福山市は自動的に景観計画の策定が可能な「景観行政団体」となりました。また、「世界遺産」候補地の調査に当たる国際記念物遺跡会議(イコモス)は十月二十一日、中国・西安市に約八十五カ国から研究者ら約千人が集まった総会で、埋め立て・架橋計画を国、県、市が中止するよう求める決議を採択。十一月二十七日にイコモス代表が県と市を訪れ、計画を再考するよう直接求めました。

 港を一望する高台で茶房を営む高橋善信「鞆の自然と環境を守る会」事務局長は「重要伝統的建造物群の保存地区申請をしない市の姿勢は、国際的な歴史遺産保存の流れに対立する異常なもの」と語ります。

(広島県・突田守生)


潮待ちの港 潮流を利用して航行する船が潮流の向きが変わるのを待ちます。


■群馬・富岡製糸場

■「世界遺産」めざす 住民と行政が一体となって

図

 群馬県富岡市の富岡製糸場を中心とした近代産業遺産を世界遺産に登録しようと、行政と住民の取り組みが活発です。

■操業は明治初期

 富岡製糸場は、フランス人技術者ポール・ブリューナの指導で建設され、一八七二年(明治五年)、日本初の官営器械製糸工場として操業を開始。工女らは器械製糸の技術を習得し、全国に伝えました。民間払い下げののち、片倉工業所有のもとで一九八七年に操業を停止しました。

 県は「シルクカントリー群馬」と銘打ち、養蚕・製糸・織物などの一連の歴史遺産を生かした県全体の地域再生構想を持ち世界遺産登録をめざしています。「世界遺産推進室」を設け、識者による「世界遺産登録推進委員会」を設置。啓発活動のためのガイドボランティア「富岡製糸場世界遺産伝道師」養成講座を開き、百三十四人(二〇〇五年九月末現在)が活動しています。また、富岡市の退職校長会は以前からガイドボランティアを引き受けてきました。

 十一月の公開見学会には四百八十人が訪れました。「職人はレンガづくりから学んで始めました。つくりはじめのレンガと熟達したものを見比べてみてください」と手づくりの資料を見せながら解説するのは地元商店店主の男性(36)です。「以前、旅行社に勤めていたので、大規模に保存されている富岡製糸場のすごさはわかっていました。街の活性化につながれば」と期待します。

■「元気塾」も活動

 男性は、市内の商店街後継者グループ「富岡元気塾」に参加し、桐生、前橋の歴史的建造物の保存・活用を視察し、街づくりに生かす方法を模索しています。郊外バイパス沿いの大型店進出でさびれた中心商店街のにぎわいを取り戻す起爆剤にしたいといいます。

 伊勢崎市から訪れた八田信江さん(57)は「建物に、りんとした美しさを感じました。建物を活用したコンサートなど心に潤いを与えるような催しができたらいいですね」と語っていました。

 富岡市は当初、富岡製糸場PRのため市街地の区画整理をすすめる計画でした。日本共産党の泉部敏雄市議は「建て替えなど自己負担をともなう区画整理はとても無理」という市民の声を反映した計画にすべきだと要求してきました。市長は今年三月、県の意向を受けた形で、区画整理事業の中止を決定しました。

 泉部市議は「富岡は、中山道の裏街道にあたり、古くからの街並みも貴重です。製糸場の文化財としての価値をもっと市民に知らせる取り組みも大事です」と話します。

 製糸場敷地は今年七月、国の史跡に指定されました。現在、建物の重要文化財指定と日本政府の世界遺産候補リストへの登載に向け運動をすすめたいとしています。(浜島のぞみ)


■創業当時の建物を保存

 産業考古学会理事・玉川寛治氏の話 富岡製糸場は、日本資本主義の発展を支えた器械製糸の発祥地です。繭(まゆ)倉庫、繰糸場、ブリューナ館と、創業当時の建物をよく保存しています。内部設備については、錬鉄製の貯水槽は富岡にありますが、繰糸機や水分検査器の外円筒などは長野県の市立岡谷蚕糸博物館に、蒸気機関は愛知県の博物館明治村に保存されています。

 蚕糸業遺産は、自然の冷蔵庫・風穴を利用して蚕の卵を保存した「蚕種屋」、養蚕農家、製糸場、輸出用の生糸検査所、くず繭の紡績所など群馬、埼玉、長野、横浜の広範囲にわたります。それら全体を蚕糸産業遺跡として世界遺産登録をすべきだと考えます。

 世界遺産登録された繊維産業遺産は、イギリスの空想的社会主義者ロバート・オーエンの創設した「ニューラナーク」や、労働者の福祉を追求したイタリアの「クレスピダッタ」では、労働状態や労働者の生活の状態を保存しているのが特徴です。日本でも、現在数カ所となった稼働中の製糸場を生きた遺産として残すことが大切です。


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