2018年1月9日(火)
中国・四川大地震から10年
商店街にぎわい戻らず
現場を「遺跡」として保存
2008年5月12日に中国・四川省で発生したマグニチュード8の大地震は死者・行方不明者約8万7000人、負傷者約37万4000人、被災者総数は4624万人にのぼりました。今年は四川大地震から10年。四川省の被災地を訪ねました。(四川省北川チャン族自治県=釘丸晶 写真も)
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四川大地震で壊滅的被害を受けた北川チャン族自治県(以下、北川県)。被災した町がほぼそのままの状態で保存され、公開されています。壁が崩れ、ガラスが割れ、中がむき出しのオフィス、隣の建物にもたれかかるように傾いたビルや、1階部分が完全につぶれたビル。地震遺跡を歩くと県政府の主要施設や銀行、学校など街の中心部が被害を受けたのが分かります。
地震による土砂崩れで生徒・教師ら1000人以上が犠牲となった北川中学校の前には祭壇が設けられ、被災者に花が手向けられていました。涙ぐみながら手を合わせている女性もいました。
旧中心部から約20キロ離れた場所に「新北川地区」がつくられ、住民が移り住んでいます。被害の大きかった北川県では地震後、早い段階で新しい市街地建設が検討され、中国政府主導で進められました。中心部の商店街「巴拿恰」はチャン族の言葉で「商売をする場所」と言う意味で少数民族を売りにした土産物屋が立ち並びます。しかし、人はまばらでにぎわいは感じられません。
ガイド業をしている男性は「産業が観光以外になく、最初は被災地支援で観光客も来てくれるが長くは続かない。若者は出稼ぎに出るか、サービス業に就くぐらいしかない」と指摘しました。
アバ・チベット族チャン族自治州汶川県映秀は震源に近く被害の大きかった地域の一つで6566人の命が失われました。この街にも地震を伝える遺跡として倒壊した漩口中学跡地が当時のまま保存されています。生徒・教師ら55人が犠牲となった同校の校舎は真ん中の渡り廊下を残して放射状に倒れ、隣の生徒用寄宿舎も倒壊しました。
映秀では地震後、多くの犠牲者が近くの山の中腹に埋葬されました。その場所は現在、共同墓地として街を見守っています。