2017年7月24日(月)
南スーダン・陸自日報問題
安倍首相こそ大元凶
南スーダンPKО(国連平和維持活動)に派兵された陸上自衛隊の「日報」隠ぺいをめぐる「特別防衛監察」で、防衛省・自衛隊は大混迷に陥っています。現象的には、隠ぺいの責任をめぐっての稲田朋美防衛相と「背広組」(官僚)対「制服組」(自衛官)の内部対立の様相ですが、大元凶は南スーダンでの「戦闘」を覆い隠して安保法制=戦争法を推進した安倍晋三首相です。24、25の両日の衆参予算委員会の閉会中審査で首相の責任が厳しく問われます。
戦争法の推進
安倍政権が2015年9月に強行した安保法制=戦争法の中で、最初に実行が狙われていたのが、南スーダンPKOでの「駆け付け警護」でした。海外派兵での武器使用基準を大幅に緩和し、米軍の戦争への本格的な参戦への一歩にするのが狙いで、16年11月から派兵される第11次隊への任務付与を検討していました。
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しかし、南スーダンでは13年12月に自衛隊が活動する首都ジュバで副大統領派によるクーデター未遂が発生して以来、治安が急速に悪化。こうした状況が極限に達したのが、16年7月にジュバで発生した大統領派・副大統領派による激しい戦闘です。自衛隊の宿営地周辺でも戦車砲を含む激しい銃撃戦が展開され、戦闘は全土に拡大しました。
後に明らかにされた当時の日報には、「戦闘」の文字が連日おどっていました。「紛争当事者間の停戦合意」などPKО参加5原則の破たんは鮮明であり、戦争法実行どころか、ただちに撤退すべき状況でした。
「戦闘」隠ぺい
安倍政権も昨年9月、撤退も含めた検討を行いましたが、派兵継続を決意。首相は自衛隊高級幹部に対して「(戦争法)実行のときだ」(9月12日)と訓示し、11月には予定通り、陸上自衛隊に戦争法最初の任務である「駆け付け警護」が付与されたのです。
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この時期、大規模戦闘当時の日報の情報公開請求が2件(7月、10月)ありました。しかし、防衛省は12月、「陸自で既に破棄された」として不開示を決定。しかし、実際は陸自をはじめ、自衛隊の随所にデータが保管されていたことが判明します。誰がどのように破棄や保管の事実の隠ぺいをしたのか。その責任の所在をめぐって、現在の混乱が起きているのです。
確実に言えるのは、あのタイミングで「戦闘」の事実が明記された日報が明るみに出れば、「PKО5原則は維持されている」「(ジュバで発生したのは)発砲事案」などとした政府の一連の国会答弁との矛盾が明らかになり、戦争法の重大な障害になるということです。
また、安倍首相が昨年9月に南スーダンからの撤退を決めていれば、日報問題は起こりえなかったのです。
命の責任問う
首相は2月1日の衆院予算委員会で、南スーダンで自衛隊員に死傷者が出た場合、「辞任する覚悟」に言及しました。死者こそ出なかったものの、昨年7月の戦闘では少なくない隊員が遺書をしたためていました。また、少なくない隊員は精神的な障害を負っています。
「戦闘」発生という“不都合な真実”を覆い隠し、多くの隊員の命を危険にさらしてきた責任は、首相自身がとる必要があります。