2017年4月24日(月)
2017焦点・論点
アフリカにかかわって40年
明治学院大学名誉教授(開発経済学) 勝俣誠さん
日本は憲法を生かした非軍事的支援こそ必要
アフリカから欧州への難民の流出、南スーダンをはじめとした地域武力紛争や飢饉(ききん)の発生と人々の苦難が世界的に関心を呼んでいます。アフリカにかかわって40年以上になる勝俣誠・明治学院大学名誉教授(開発経済学、元同大国際平和研究所所長)に現状と先進国の課題について聞きました。(山沢猛)
撮影・佐藤光信 |
―先日の群馬での講演のテーマが「アフリカでの地域紛争の特質と解決は―日本国憲法の平和条項を使った非軍事的支援」でしたね。
一つの体験を紹介します。
アメリカが2003年にイラク戦争を始める直前に、私は西アフリカのセネガルにあるダカール大学で「日本現代史からみた南北問題」という講演をして、会場で日本の憲法前文をフランス語で朗読してもらいました。講演の後、何人かが憲法の全訳がほしいといってきました。さらに、セネガルの公法学者で、コンゴ民主共和国の内戦後、国連の依頼で同国の憲法草案作成にたずさわった人が、「こんな立派な憲法があることを知らなかった。ぜひ参考にしたい」と言ってきました。
憲法前文の後半は国際主義です。「自国のことのみに専念して他国を無視してはなら」ず、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようとつとめている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」。高貴といえる理想をうたっています。
私は前文と9条がいま確かな現実性をもってきていると思います。
市民による行動も
―いまのアフリカの課題と、欧米・日本はどんな支援を求められているのでしょうか。
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まず、アフリカは実に多様な地理的世界だということです。いろいろな地域の文化、歴史をもっています。「ところ変われば品変わる」です。
アフリカ諸国は54カ国で、国連決議を無視してモロッコが占領している西サハラをのぞいて、多くが第2次世界大戦のあとに欧州の植民地から独立しました。しかし、いまもって「最貧大陸」といわれるように、貧困や格差から抜け出せていません。
貧しい地域ほど、温暖化による干ばつや洪水などの影響を受けやすくなっています。
ソ連が崩壊し冷戦が終わった1990年代初めから、この大陸に「民主化」の波が起こりました。独立後つづいた独裁的政権から、複数政党制と選挙の実施によって新しい統治体制をつくる動きでした。それから20年以上になりますが、民主化によって国民生活が安定するというシナリオには程遠いのが現状です。
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というのは、あの民主化は多くが欧米主導でした。まず選挙をやるように迫り、新しい政権ができると、その国のさらなる市場開放を迫るなどということです。選挙の実施を機会に、内戦まではいかないが、社会的な騒乱、局地的な武力対決が起きる、「ポスト選挙暴力」という造語が近年生まれているくらいです。
南アフリカは反アパルトヘイト(人種隔離政策)の運動で、内戦なくして民主的に統一した国をつくった模範的な国です。他の多くの国は同じようにはいきませんでした。
一方、市民が自分たちの国を選んでいくという主体的な行為も、90年代終わりからでてきました。たとえば街頭デモなどによって政権が変わった国に、西アフリカのマリ、ブルキナファソ、セネガルなどがあります。欧米の武力介入が始まる前の「アラブの春」の国々もそういえます。
もちろん、選挙はその国民が平和な生活めざし政治を決定するチャンスです。若者の失業の問題などは共通のテーマです。どんな社会に住みたいかという論争による争点の明確化、そのための情報の公開、識字率の向上、独立したメディアの存在など、民主化を支える一連のインフラが必要です。
こうした分野での先進国の経験を生かした支援こそ重要です。
食料自給に援助を
―南スーダンでの武力紛争の事態に、安倍政権が国連PKO(平和維持活動)部隊からの自衛隊撤退を打ち出しましたが。
なぜ南スーダンに自衛隊を派遣するのかという根本があいまいな派遣でしたから、撤退は当然の結果だと思います。そもそもあの国が困っていることで、日本しかできないことは何かという議論が起こったでしょうか。
ましてや自衛隊の武器使用の拡大などを試す場にすることなど、絶対にあってはなりません。いまの国連PKOはかなり戦闘色がつよまっており、「第4世代のPKO」とも呼ばれます。
憲法の平和条項を使った非軍事的な支援に切り替えるのかが問われています。赤十字国際委員会や、国際人道NGOなどとより連携した支援も重要です。
―アフリカの食料問題の解決で日本はどんな支援ができるでしょうか。
食料の自給はアフリカにとって死活問題であり、この安定供給は局地的な紛争の解決につながります。日本はこの分野の援助で活躍できるはずです。
アフリカの食料は、キャッサバなどのイモ、トウモロコシ、コメ、麦、ヒエなどの雑穀と多種多様です。南アメリカとことなり、単一作物の大規模農業(プランテーション)がほとんどありません。日本と似ていて、小規模な家族経営の農業が一般的です。農村に公的支援がほとんど回っていません。小農経営がバラバラでなく日本のような協同組合をつくることが、アフリカ諸国でも急務です。
そのさい重要なことは、アフリカの農民は自分たちの生活を可能にしてきた地域の水、天気、土壌、植物について豊富な知識をもっています。外部から持ち込まれるあらゆる技術は、この知識と断絶することなく、つながっていくことが農民が受け入れるカギになります。土地の人が何を食べてどういう作り方をしているかをよく知らないといけません。
欧米・日本は、最貧大陸のアフリカに対して対等の、「ウインウイン」の関係にはなりえません。持ち出す分を大きくしなければなりません。この立場での日本のODA(政府開発援助)はアフリカに貢献できる有効な手段です。
さらにアフリカを舞台に、欧米・日本と、中国、ブラジルなど新興国が資源の取り合いをすることは一番避けなければならないことです。