2016年7月15日(金)
「日韓合意」から半年「慰安婦」被害者 相次ぐ死去
平均年齢90歳、残された時間わずか
韓国の日本軍「慰安婦」被害者で、日本に謝罪と賠償を求める活動にも参加してきた柳喜男(ユ・ヒナム)さんが10日、ソウル市内の病院で息を引き取りました。87歳でした。柳ハルモニ(おばあさん)は生前、「再びこのようなつらい歴史が繰り返されてはいけない」と語っていました。
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日韓両外相による「慰安婦」問題の解決に向けた「合意」から半年。この間、6人の被害者が亡くなりました。
「『ビール工場で働かせてあげる』と言われて連れていかれた」「仕事を紹介するとだまされた」―。被害を受けた状況はまちまちです。また声をあげられずに亡くなった被害者もいます。
心身に深い傷
柳ハルモニは15歳のときに日本の下関に連れてこられ、「慰安婦」としての生活を強いられます。戦後、帰国しますが、慰安所での生活を知られるのが怖くて、両親のもとに戻ることはできませんでした。体と心に負った傷は深く、最後まで不眠症などに悩まされました。
被害者だと公にするようになったのは2012年、夫と死別し、被害者たちが共同生活する「ナヌムの家」で暮らすようになってからのことでした。
中国の黒竜江省東寧市に住んでいた李寿段(イ・スダン)さんは今年5月、同地の老人施設で亡くなりました。95歳でした。
晩年は認知症となり、赤ちゃんの人形をわが子のようにかわいがっていた様子は、「慰安婦」被害者を撮り続けている韓国人写真家の安世鴻(アン・セホン)さんの作品で紹介されています。
李ハルモニは故郷の平壌で「工人(工場などの作業員)」の募集広告を見て、中国のハルビンへ行きましたが、ロシア国境沿いの慰安所へ連れていかれます。終戦後は、中国に置き去りにされ、その後、故郷に帰ることはできませんでした。
生存者40人に
韓国政府に登録されている被害者238人のうち、生存者は40人となりました。昨年は9人が亡くなっており、現在、平均年齢は90歳に迫っています。生き証人である被害者の声を聞くことができる時間は、もう、わずかしか残されていません。
(栗原千鶴)