2016年4月24日(日)
なんだっけ
沖縄の「屈辱の日」って?
Q なぜ沖縄で4月28日を「屈辱の日」と呼ぶの?
A 1952年4月28日は、日本が連合国とサンフランシスコ講和条約を結び、国際社会に復帰した日。同時に、日米安保条約によって米国の軍事的支配の鎖に縛りつけられました。沖縄から見れば、沖縄を分離することで日本国が独立を回復したので、「屈辱の日」と呼ばれています。米国の統治下では、日本国憲法は適用されず、人権侵害が横行しました。
Q どのような人権侵害があったのですか。
A たとえば米軍基地拡張のための土地取り上げ。同年10月、米国民政府は真和志村(現那覇市)の銘苅(めかる)など四つの集落を明け渡すよう通告。翌年4月、武装米兵に守られたブルドーザーが家を壊し、住民を強制排除しました。本土への渡航も米国の許可が必要でした。ヘリから投げ落としたトレーラーに少女が下敷きになって死亡する事件が起き、女性にたいする暴行事件も頻発しました。県民は、人権侵害を許さないたたかいを進め、沖縄県祖国復帰協議会を結成し、祖国復帰のたたかいを進めました。
Q 今も「屈辱の日」と呼んでいるの?
A 戦後71年、いまなお米軍基地が居座り続ける沖縄。先月も米兵による女性暴行事件があり、基地あるが故の事件・事故が後を絶たないため、痛苦の歴史を思い出す県民は少なくありません。県民の民意を一顧だにしない安倍政権の辺野古新基地建設押し付けも許さない―そういう怒りも込められているようです。
(2016・4・24)