2016年4月14日(木)
2016焦点・論点
京都大学iPS細胞研究所所長 ノーベル賞受賞の山中伸弥さん
基礎研究への支援は「科学立国」の第1条件
山中伸弥氏(京都大学iPS細胞研究所所長)のiPS細胞(人工多能性幹細胞)の開発による2012年のノーベル生理学・医学賞の受賞は、科学の基盤となる基礎研究での成果が人類にとって大きな可能性をもつことを改めて示しました。京都市内の研究所に山中氏を訪ね、基礎科学の役割などについて聞きました。(山沢猛)
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―近年、自然科学の分野で日本人がノーベル賞を連続受賞しています。基礎研究の長期的な役割についてどうお考えですか。
基礎研究なくして応用研究はありませんので、基礎研究をしっかりとやっていくことが「科学立国」の第1条件だと思います。応用研究、たとえば難病の治療方法などは非常に大切なのですが、それは近未来のことです。やはり50年、100年先を考えるとしっかりした基礎研究をしていかなければなりません。
日本人の基礎研究は世界で一目おかれる存在ですし、最近の受賞は誇らしいことですが、注意しなければいけないのは、受賞は現在の日本の科学の水準を表しているものではないということです。多くの受賞が20〜30年前の研究の成果によるものです。私の場合、比較的受賞まで短かったですが、それでも10年前の成果です。
実際、世界の科学誌などに発表された研究論文の数、なかでもインパクト(影響力)のある論文でみると、印象としてはアジアの他の国に追い越され、中国の方が前に行っています。やはり中長期の計画を立てて、研究への支援というものをしっかり行っていかなければいけない時だと強く思います。
研究支援者の雇用安定を
平和であるからこそ研究できる
―基礎研究はいずれの分野でも、地道でねばりづよい積み重ねが求められますね。
多くの科学技術の新発見、いわゆるブレークスルーは出そうと思ってできるものではありません。「セレンディピティー」(思いがけない発見をする能力)とよくいうのですが、研究が偶然から生まれ、思いがけない展開をして、それが画期的な成果につながるというものが多いと思います。
私自身ふり返っても1990年ごろから始まった研究者生活の前半は、予想外の成果から、当初とは全然違う方向に研究がすすんでいきました。それでたどり着いたのが「万能細胞」の研究です。始めた当時は名前をつけていなかったのですが、いまiPS細胞と呼んでいるものを2000年ごろからつくろうと思って、研究をしていました。そして2006年にマウスiPS細胞を発表しました。その期間は自分が狙ったことができた、まれな例です。
競争に傾きすぎ 身分保障もない
―米国留学の時期がありましたが。
大切だったのは、米国で全然違う方向に向かった私の研究を支援していただいたことです。
私が留学したのは、グラッドストーン心血管研究所(カリフォルニア州)という心臓と血管の研究所でした。心疾患は米国に多いですから、心臓とか動脈硬化の研究をやりにいったのです。途中からがんの研究を1人でやっていましたが、別分野の研究をすることを許してもらいました。
日本でも2000年ぐらいまではそういうことを認める、いわばおおらかな環境があったと思うのです。しかし、いまは競争に傾きすぎていて数年単位で成果を出さないと、研究費も、それから自分の身分さえ保障されない。小さなことでもいいから短期間に成果を出さないとだめということになっています。
もちろん、みんなががんばるように競争的な考え方をとり入れることは大切だと思いますが、思いがけない新たな発見のためには研究者の勇気が必要です。競争、競争というとそうした勇気を後押しできない。競争と、偶然の結果を追求できるようなおおらかな環境と、両方が必要だと思います。
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米の一つの州で日本の倍の支援
―米国の研究環境と、日本との違いは何でしょうか。
米国は国からの研究費があり、それ以外に州からの研究費、さらに民間・個人からの寄付が非常に多くあります。出どころが多くあってある人は応用研究を、ある人は基礎研究を支援するというように結果としてバランスがとれています。
これに対し日本は大部分の研究費を国に頼っており、しかもそのほとんどが5年、長くて10年かぎりの競争的な資金になっています。
私たちの再生医療はいま日本全体で、10年間に約1100億円の支援をいただいています。一方、米カリフォルニア州は10年間に約3000億円を幹細胞の研究に支援しています。一つの州が日本全体の倍以上の支援をしているということです。
―研究所でいま進めていることは。
iPS細胞を用いた再生医療の研究は全国の研究機関で進めていますが、私たちはそうした研究者に提供できる臨床用のiPS細胞をつくっています。これが一番の役割だと思っています。
同時にこの研究所でも、パーキンソン病、血液や関節の病気、腎・膵(すい)・肝臓の疾患、がんの免疫療法に挑む研究者がいて、応用をめざしているグループはたくさんいます。
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両方がそろってはじめてできる
―山中さんは若手研究者や研究支援者が安心して仕事ができる環境づくりを主張してきました。
研究者と、研究支援者の両方がそろってこそはじめて研究ができます。映画や舞台にたとえれば、研究者は役者さん、研究支援者は舞台をつくる照明や大道具・小道具、音響などのみなさんでしょう。しかし、日本の雇用では、研究者は教授や准教授などの形で比較的安定した地位にありますが、研究支援者のほとんどは大学のポストがなくて、国の競争的な資金で数年単位で雇用されています。
私もこの研究所の所長としていちばん重視しているのは、研究支援者の雇用をどうやって少しでも安定させるかです。400人を超える教職員がいますが、大学の正規職員など安定した雇用の方は1割に満たない、9割以上が有期雇用と派遣職員で、これがなかなか変えられていません。
私が京都マラソンや大阪マラソンに参加し走っているのは、民間の寄付をよびかけるためです。職員のより長期的な雇用のシステムをつくるために、競争的でない資金の獲得は研究所の課題です。
―研究にとって平和的な環境が必要ですね。
世の中が平和であるからこそ、私たちのような基礎研究ができます。平和であることは非常に大切なことだと思っています。
iPS細胞と再生医療
ヒトの皮膚などの体細胞にごく少数の遺伝子を導入することによって、さまざまな体の組織や臓器に分化する能力と、ほぼ無限に増殖する能力を獲得した細胞で、人工多能性幹細胞といいます。
山中氏と共同受賞したガードン博士(英)が一度分化した細胞を「初期化」すれば再びさまざまな細胞に分化することを発見。山中氏はその研究をふまえ、細胞の性質を変える四つの遺伝子を細胞に入れる技術を開発して多能性を持つ細胞を作製しました。
iPS細胞を利用して難病治療や損傷した体の組織の再生など応用研究が進められています。