2016年1月6日(水)
イランとの断交拡大
サウジに続き バーレーン・スーダンも
イランの首都テヘランでサウジアラビア大使館が襲撃されたことを理由に、サウジがイランと国交断絶したのに続いて、バーレーンとスーダンが4日、イランとの断交を表明しました。アラブ首長国連邦(UAE)は、駐イラン大使の召還など外交関係の格下げを発表。クウェートも同日、駐イラン大使を召還しました。一方、中東の大国トルコが4日、対立するサウジとイランの緊張緩和を促しました。 (小玉純一)
トルコが緊張緩和促す
サウジのジュベイル外相は4日、イランとの航空便と交易の断絶も表明。サウジのムアリミ国連大使は同日、「サウジが生まれながらのイランの敵ではない」と述べて、「イランが他国に干渉しなければイランとの関係を当然、正常化する」とも述べました。また、イランとの断交がサウジのシリア問題への態度に影響しないとの考えを示し、25日のシリア協議にも参加すると表明しました。
トルコのクルトゥルムシュ副首相は4日の記者会見で、「サウジとイランがたたかうのは中東で最も避けたいこと」と述べ、両国の緊張緩和を求めました。また、対立の発端になったサウジによるシーア派指導者の死刑について反対を表明しました。
シリアのアサド政権の退陣を求め、反体制派を支援する点で、トルコはサウジと協力関係にあります。年末にはエルドアン大統領がサウジの首都リヤドを訪問しサルマン国王と会談しています。
トルコはサウジが昨年12月に発表した対テロの「イスラム軍事連合」にも名を連ね、エルドアン大統領はこの軍事連合を「宗派主義ではない」と擁護しました。軍事連合にはイラン、イラク、シリアが入っていないことから、反シーア派連合との批判がでています。
解説
サウジ・イラン 対立の歴史
王制のサウジアラビアは、アラビア語を話すアラブ世界の大国です。原油輸出の富で国力を増し、いまや軍事費で世界第4位。人口3000万近くでスンニ派が多数派。統治するスンニ派のサウド家は米国と親密な関係にあります。
イランも産油国で埋蔵量世界5位。公用語はペルシャ語で人口8000万近く。シーア派が多数の共和制です。かつてはサウジと同じ親米の王政でしたが、国民が1979年にパーレビ国王体制を打倒(イラン革命)。米国との対立が始まります。
サウジなど湾岸のアラブ諸国は、イラン革命の波及を警戒。湾岸協力会議(GCC)を結成しました。
一方のイランでは97年、大統領選挙で改革派ハタミ師が勝利し、アラブとの関係改善を模索。99年にサウジを訪問し、両国の対立を緩和しました。
2001年の米同時テロ後、米国がイランの東西の隣国アフガニスタンとイラクに軍事介入。イラクでは03年に米軍がフセイン政権を打倒した後の占領で、スンニ派に代わりイランの支配層と同じシーア派が権力を握ります。
イラク戦争は結果としてシーア派の台頭をもたらし、イランに強硬派アハマディネジャド大統領が誕生したこともあいまって、サウジは警戒感を強めます。
11年の「アラブの春」と呼ばれるチュニジア、エジプトの独裁政権崩壊は、サウジのサウド家にとって重大でした。バーレーンの民主化デモをシーア派イランの仕業として軍を派遣し鎮圧。自国でのデモも封じました。今回処刑したニムル師は当時のデモ呼びかけ人だといいます。
シリアでアサド政権に反対する動きが強まると、サウジは反体制派を支援。イランはアサド政権を支えます。
サウジは隣国イエメンでハディ大統領がシーア派系武装組織のフーシ派によって窮地に追い込まれると、イランがフーシ派を支援しているとして、昨年春から空爆を続けています。
サウジ、イランの新たな対立は、シリア、イエメンの和平協議に影響をもたらしかねません。
イランと欧米がイラン核開発問題で合意したことも、サウジには敏感な問題。経済制裁の解除によりイランが国力と存在感を増すことを警戒しています。
(小玉純一)