2015年7月12日(日)
負傷の友 壕に残した
「ひめゆり学徒隊」の戦跡めぐり
沖縄
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太平洋戦争末期の沖縄戦で沖縄陸軍病院に看護要員として動員された「ひめゆり学徒隊」の足跡をたどる戦跡めぐりが11日、沖縄県で開かれました。ひめゆり平和祈念資料館が主催し、64人が参加しました。20年ぶりの企画で、85歳以上の8人の元学徒がバスの中や壕(ごう)の前で証言に立ちました。
暗い壕の中で
戦跡めぐりは、生徒らが通っていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校があった那覇市安里(あさと)からバスに乗り、沖縄陸軍病院や糸数アブチラガマ、ひめゆりの塔、伊原第一外科壕、解散命令後に追い詰められた荒崎海岸を回りました。
那覇市南東5キロの南風原(はえばる)町にあった沖縄陸軍病院。学徒たちは暗い壕の中で昼夜を分かたず働き続けました。師範本科2年だった大見祥子さん=当時(19)=は、兵器廠(しょう)の壕での勤務を命じられました。
「数日して治療班がきました。重傷患者の包帯にはさみを入れると膿(うみ)の臭いがしました。膿の臭いにぼーっとして目が見えなくなりましたが、歯を食いしばり、治療が終わって包帯を巻きました」
苦しい思い出
糸満市の「伊原第一外科壕」では、ひめゆり平和祈念資料館の島袋淑子館長(87)が証言しました。「おなかに致命傷を負い、私は助からないから他の人を診てあげて、と言って亡くなった友だち。解散命令後、日本軍に壕に残ることを許されず、負傷した友だちを残したことに今も苦しんでいます」
女性(56)は「苦しい思い出を、命を振りしぼって話してくれていることに感謝しています。辺野古に基地を造ったり、安保法制といって戦争をしようとしたりしている人たちは、戦争体験者の話を素直に聞いてほしい」と訴えました。