2015年4月25日(土)
主張
靖国神社奉納・参拝
侵略美化恥ずかしくないのか
靖国神社の春の例大祭に際して、安倍晋三首相が「真榊(まさかき)」といわれる供え物の榊の鉢植えを奉納し、高市早苗総務相ら3人の閣僚が参拝したことが、内外で批判を呼んでいます。靖国神社は侵略戦争を肯定・賛美する施設です。首相の供え物の奉納や閣僚の参拝はあいまいにできないものです。今年はアジア・太平洋戦争が終わって70年で、例大祭のさなかには侵略戦争で被害を受けた国々が参加したバンドン会議60年を記念する首脳会議や、中国との首脳会談も開かれました。靖国神社への首相の奉納や閣僚の参拝が国際的な批判をあびるのは当然です。
安倍首相の責任免れない
安倍首相の「真榊」奉納は「内閣総理大臣 安倍晋三」と明記したもので、首相の責任は免れません。安倍首相は第1次政権時代に靖国神社に参拝できなかったことを「痛恨の極み」と公言してきた異常な右翼体質の政治家で、第2次政権発足後、2013年末には執念にしてきた靖国神社参拝を強行、春と秋の例大祭や終戦記念日には「真榊」の奉納や「玉串料」を納めてきました。首相の参拝に対しては侵略戦争の犠牲になった中国や韓国からだけでなく、アメリカからも「失望した」との声が上がったのに、首相には反省の姿勢が見られません。
安倍首相は13年末の参拝がアメリカからも批判されたあと靖国神社への参拝は見送っていますが、供え物を奉納したり、玉串料を納めたりすれば同じことです。しかも安倍政権発足後、例大祭や終戦記念日に閣僚や自民党などの国会議員の大量参拝が続いており、今回も高市総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相が参拝しました。安倍首相は自らの内閣の閣僚の参拝さえやめさせようとはせず、菅義偉官房長官も「私人の行動」などと不問にしています。こうした態度で内外の批判をやり過ごせると考えても、それは成り立ちません。
靖国神社は、日本が侵略したアジア・太平洋戦争をめぐり、「A級戦犯」として東京裁判で有罪判決を受けた戦争指導者まで祭神として合祀(ごうし)し、付属の軍事博物館などで日本の戦争は「自存・自衛の正義のたたかい」だったとか「アジア解放の戦争」だったと肯定・美化の宣伝を繰り返す、戦争賛美の施設です。その施設に参拝したり、供え物や玉串料を納めたりするということは、靖国神社と同じ戦争賛美の立場に自ら身を置くことを証明するものです。侵略戦争に駆り出され大きな被害を受けた日本国民や、国土や資源、人命まで奪われた被侵略国が反発するのは当然であり、参拝は追悼のためなどという言い訳はいっさい通用しません。
国際的孤立は避けられぬ
安倍首相のバンドン会議記念の首脳会議出席や日中首脳会談が終わるまで、閣僚の参拝は遅らせたなどと一部でいわれているのは「姑息(こそく)」の一語に尽きます。遅らせても閣僚参拝の事実は変わりません。
バンドン会議での安倍首相の演説は自らの言葉では「侵略」とは認めず、「おわび」もしない、戦争責任に無自覚なものです。侵略戦争への反省がない点で、首相の言動と靖国神社への奉納・参拝は同質です。国際社会に恥ずかしい態度を改めない限り、安倍政権のいっそうの孤立は避けられません。