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2015年3月10日(火)

主張

戦後70年と大空襲

被害解決へ国は責任を果たせ

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 アジア・太平洋戦争末期の東京大空襲からきょうで70年です。1945年3月10日未明、米軍B29爆撃機約300機が投下した大量の焼夷(しょうい)弾で東京の下町一帯は火の海にされ、約10万人の命が奪われました。米軍の民間地域への無差別空襲は東京だけでなく全国の都市などを焼き払い、甚大な犠牲を生みました。生き延びた人たちも心や体に深い傷を負い苦難の人生を強いられました。日本政府はいまだに民間人の犠牲者・被害者への補償を拒み続けています。「命あるうちに解決を」。高齢化する被害者らの悲痛な叫びに、国は今こそこたえるべきです。

「防空法」が悲劇拡大

 アジア・太平洋戦争は、日本の無法な侵略によって引き起こされ、アジア各地に多大な犠牲と被害を強いましたが、戦争末期の日本各地への米軍の無差別空襲は、軍人ではない一般市民・労働者の住む地域を標的にした非人道的な作戦でした。広島と長崎への原爆投下と並んで、国際法に違反する行為であることは明らかです。民間人の空襲犠牲者は原爆犠牲者などを含めると約50万人にのぼります。

 米軍の日本空襲が本格化したのは44年秋からですが、当初は高高度から軍事施設を狙う爆撃が中心でした。しかし東京大空襲以降、夜間に低高度から大量の焼夷弾を投下して民間地域を焼き尽くす「じゅうたん爆撃」へ転換しました。米軍は日本の木造家屋密集地域を「効率的」に燃やす研究を重ね、そのために開発した焼夷弾を市民の頭上に降り注ぎました。

 さらに犠牲を拡大したのは戦時下の日本政府が「防空法」で民間人に「逃げるな。火を消せ」と厳罰つきで強制したことです。焼夷弾にはまったく無力な消火活動にたずさわって逃げ遅れ、命を奪われた例は枚挙にいとまがありません。イギリスのロンドン空襲では地下鉄駅が市民に避難所として開放されましたが、日本は地下鉄入り口が閉鎖されただけでなく、地下鉄構内にいた乗客までが地上に追い出されました。

 大阪大空襲で国の責任を問う被害者の起こした裁判は、原告が敗訴したものの、大阪地裁と同高裁は、防空法によって空襲から国民が事前に避難することを困難にされ、危険な状況に置かれた事実を認定し判決に明記しました。犠牲を広げた国の責任は免れません。

 空襲で全身に大やけどを負い、爆撃で手や足を失った被害者、肉親の遺体すら分からず孤児になった多くの遺族らの70年は言葉にならないほどの苦難の歩みでした。軍人・軍属には補償の仕組みがあるのに、民間人はなんの補償もなく放置されてきたのは理不尽です。ドイツなどは軍民区別なく戦争被害者への補償をしています。日本政府は民間人被害者を差別する異常な姿勢を改めるべきです。

戦争犠牲者二度と生まぬ

 全国の空襲被害者・遺族らが求める、国の責任で被害を救済する「空襲被害者等援護法(仮称)」の制定は待ったなしです。被害の実態調査や追悼施設整備なども国の責任で行われることが必要です。

 被害者・遺族がつらい体験を語り続けるのは、戦争の惨禍を繰り返してはならないという揺るぎない決意からです。戦後70年、戦争被害者と国民が力を合わせ「戦争する国」づくりを許さない草の根の世論と運動を強める時です。


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