2015年3月8日(日)
2015 焦点・論点
日本版「司法取引」の危険
数々の冤罪事件を手がけた「冤罪弁護士」 今村 核さん
他人の罪を語らせる「証言買収型」 密告の制度化で冤罪の危険高まる
政府は今国会で、盗聴法の範囲拡大と、日本版「司法取引」の導入を盛り込んだ刑事訴訟法の改悪法案の提出を狙っています。「司法取引」とは、どんな制度なのか。数々の冤罪(えんざい)事件を手がけた「冤罪弁護士」の今村核さんに聞きました。 (矢野昌弘)
―「司法取引」という言葉は、日本ではなじみがありません。どんな制度ですか?
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「司法取引」はもともと、自分の罪を認める代わりに量刑などを軽くしてもらう制度です。
米国の「司法取引」は、第1回公判で被告が有罪を認めれば、証拠調べはしません。本人が犯罪を認めて裁判を迅速に終わらせる代わりに罪を軽くしてもらう制度です。
―日本でも同じ制度になるのですか。
今回、日本で導入しようとするのは、そうではありません。他人の罪を明らかにして、自分の罪を軽くしてもらう制度です。
報道では「司法取引」と呼んでいますが、法務省の法制審議会は「捜査・公判協力型協議合意制度」と呼んでいます。単に「司法取引」ではなく、「証言買収型司法取引」と呼んだ方がいいのではないかと思います。
―「証言買収型司法取引」の危険性はどんな点にありますか。
日本でもこれまで、他人の罪を語ることで、自分の罪を軽くしたいとの動機でウソの証言がされて、多数の冤罪が生まれたことは、よく知られています。
取引として制度化・合法化されると、「自分の罪を軽くしたい」という動機がこれまで以上に強く働き、警察もそれを利用しようと考え、捜査が誤りやすくなります。
米国で誤判次々
―米国では、冤罪事件の検証が行われています。
米国では近年死刑や終身刑、懲役何十年という判決を受けた人物のDNA型と、犯人遺留の体液等から検出したDNA型が一致せず、冤罪が明らかになった事例が相次ぎました。
1989年から、これまでに300事例を超えました。予想を超える誤判の多さに、米国司法の威信は傷つきました。
これら誤った判決を導いた主な証拠は何でしょうか。DNA鑑定による冤罪救済に取り組む「イノセンス・プロジェクト」の弁護士が分析しています。
分析(複数要因)では、「目撃証言」が約76%、「虚偽自白」が約16%、「密告者(スニッチ)」による証言が約21%です。
「スニッチ」とは「被告人の犯行告白を聞いた」と、法廷で話す代わりに自分の量刑を“裏取引”で軽くしてもらう情報提供者のことです。
米国では「スニッチ」が常態化していて、密告して罪を軽くしてもらおうと“餌食”を待ち受ける累犯者が収容施設に多数いると指摘されています。日本で同じことが起きてもおかしくありません。
警察の違法聴取
―日本ではどうでしょうか。
無実の人が密告に巻き込まれる冤罪事件は日本でも多く起きています。
米国のスニッチに似た事例では、北九州市で起きた引野口事件(2004年)があげられます。
放火殺人事件の被疑者にされた女性Kさんが、代用監獄で同房の女性Mに「首を刺した」等と“犯行告白”したという事件です。
同房の女性Mは、多数の窃盗と覚せい剤取締法違反で逮捕され、実刑となることを非常に恐れていました。自身の窃盗などで、警察が取り調べたのは、わずか4日。Kさんの房内での言動についての事情聴取は、57日にのぼります。
Kさんは無罪となりますが、警察はMを意図的にスパイとして同房に入れ、犯行告白を聞き出そうとしました。裁判官はMを使った聴取は違法と判断しました。
―「証言買収型司法取引」は密告の“制度化”といえますね。
この制度が、危険だという認識は立法者側にもあります。
法制審は、誤った密告を防ぐ措置として「虚偽供述罪」を設けるとしています。これは捜査官の前で、他人の罪についてウソの供述をしたら処罰するというものです。
厚生労働省の郵便不正事件では、村木厚子さんの上司、部下らは「村木さんの指示があった」と、大阪地検特捜部が作成した調書でのべていました。ところが法廷では、相次いで調書の内容をくつがえしました。
「虚偽供述罪」があると、捜査官の前で証言したことを覆し、法廷で真相を語ったことが処罰の対象となってしまいます。供述した人の口を固めてしまうことで、冤罪の危険を高めてしまいます。
―弁護士は、どんな立場に置かれますか。
密告を防ぐ歯止めとして法制審は、他人の罪を話す側の弁護人の合意を必要としています。
しかし、弁護人にしてみれば、依頼者の話が本当なのか虚偽なのか判断しようがない。弁護人が板挟みになって苦しむことが容易に想像できます。
権力による悪用
―権力による悪用は考えられますか。
例えば市民団体に警察の捜査員を潜入させて、「特定秘密を入手しよう」と「共謀しました」と密告させます。密告した捜査員は、「証言買収型司法取引」で、不起訴など軽い処分ですませる。
一方で団体の他のメンバーについては、特定秘密保護法の共謀罪で重罰を受けるという事態も考えられます。1952年に大分県で起きた菅生(すごう)事件では、日本共産党に接近した公安警察官が交番爆破事件の罪を共産党員に押しつけようとしました。こうした過去の事件からも悪用はありえることです。
秘密保護法に加えて、盗聴法拡大や証言買収型司法取引、さらには共謀罪がセットになると、政府にとって弾圧の強力な武器になることは間違いありません。
証言買収型司法取引 法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」が昨年、盗聴法の拡大と合わせて提案し、今年の通常国会での法制化を求めています。冤罪事件が相次ぎ発覚したことを受けて発足した同部会は当初、取り調べの全面可視化を焦点としていました。しかし部会は、可視化の対象事件を、全事件の約2%にとどめる不十分なものとなりました。