2015年1月25日(日)
2015 焦点・論点
NHK籾井会長1年と放送90年・戦後70年
メディア研究者 松田 浩さん
戦前の教訓と民主化の理念ふまえ「政権からの独立」取り戻そう
今年は1925年(大正14年)に日本で初めてラジオ放送が始まって90年です。またこの1月は、安倍政権が送りこんだといえる籾井勝人(もみいかつと)NHK会長が誕生して1年という節目です。「籾井会長下のNHK1年」を放送の歴史と戦後70年の中でどうとらえるか―長く放送とメディアを研究してきた松田浩さんに聞きました。
(小寺松雄)
|
―放送誕生はどんないきさつだったのでしょうか。
松田 日本のラジオは、大正デモクラシーの流れのなかで産声を上げました。当初は新聞資本をバックに商業放送の予定でしたが、当時の犬養毅逓信相が「放送は偉大な広播力がある」ので「政府の監視容易な組織に」する必要があると社団法人でスタート。同年3月から東京、名古屋、大阪で順次放送が始まりました。ところが1年半後に政府は3放送局を強制的に「日本放送協会」に統合してしまう。これがNHKの前身です。日本の放送は当初から強力な「政府管理」下に置かれたのです。
31年の「満州事変」を経て、放送は急速に軍国主義の宣伝機関となり、40年の内閣情報局設置を機に企画段階から政府の指導下に置かれるようになる。そして一路、「国家政策の徹底」「戦意高揚の道具」へと突き進んでいきます。
戦後再出発の試み
―45年、日本の敗戦で放送はどう変わりましたか。
松田 アメリカを中心とする占領軍は、ポツダム宣言にもとづき戦前からの言論・出版の弾圧法規を廃止し、日本の民主化を進めます。NHKの中からも民主化運動が起き、労働組合が結成されます。
46年1月には、占領軍の指導のもとでNHK民主化のための放送委員会が発足、新生NHKの会長として経済学者の高野岩三郎(大原社会問題研究所所長)を選出します。
ところがアメリカの占領政策は47年ごろを境に「民主化」から「反共」へと転換、50年には労働分野を中心にレッドパージが行われ、こうして戦後の民主化に終止符が打たれるわけです。
戦後の放送法制のもとになる電波3法(電波法、放送法、電波監理委員会設置法)のたどった運命も、時代に大きく翻弄(ほんろう)されます。というのは、電波3法には、新憲法と同様に戦後民主化の理念と戦前の教訓が込められ、放送の政府からの「独立」と民主主義のための放送という基本理念が貫かれていました。ところが吉田茂内閣が「日本の独立」と同時に、民間人が政府から独立して放送行政を行う「電波監理委員会」の制度を廃止してしまった点です。
―直接、放送行政を握ることで、次々と放送の「独立」や「自由」を空洞化していったわけですね。
松田 放送法では第3条の「放送の自由」(権力の不介入)が大前提なのに、予算を人質にとってNHKの放送に注文をつけたり、安倍内閣のように経営委員の任命権を使って政府の息のかかった会長をNHKに送り込みました。また、放送法第4条の倫理規定(「不偏不党」「政治的公平」「意見が対立している問題についての多角的論点解明」など)を勝手に解釈して、放送の自由に圧力を加えたりしています。
そもそも第4条の精神は、放送が「言論・思想の自由市場」として十全に機能するよう政治の影響を排除し、言論の多様性を求めたもので、政府やその代理人の会長が、これを根拠に「放送の自由」を規制しようなどというのは本末転倒もいいところです。憲法や放送法の精神がまるでわかっていない。
籾井氏は「代理人」
―25日は籾井会長就任1年です。戦後のNHK再出発から70年という時点で、籾井会長はどのような位置を占めていますか。
松田 籾井会長の本質は、安倍政権によって組織的に送り込まれた政権の代理人です。しかも自民党の望むNHKの「国策放送局」化を積極的に推進する役割を担っている。NHKの歴史始まって以来のことです。
安倍政権は第1次政権時代以来、NHK支配に強い意欲を持ち、安倍氏を取り巻く財界人グループ「四季の会」と図って、福地茂雄、松本正之、籾井氏と3代にわたって「四季の会」とつながりのある財界出身会長をNHKトップに送り込んできた。だが、福地、松本両会長は放送面では自民党と一定の距離をとった。
そこで今度は、政権の期待を一身に担う形で籾井会長が担ぎ出されたわけです。籾井会長は就任会見で、およそ公共放送のトップにふさわしくない暴言をはいて物議をかもしましたが、“皆さまのNHK”を“安倍さまのNHK”に変えるべく送り込まれた人物が、不見識な発言しかできないのは当然です。
まず国民的議論を
―籾井会長は辞任を求める市民や退職者の声に耳を貸さずに居座り続けています。
松田 政府からの自主・自律を生命とする公共放送のトップに、政府のヒモ付き会長が居座っていること自体が民主主義にとって大問題なのです。即刻、退陣願うこと、そして再び同じ轍(てつ)を繰り返さぬよう、経営委員や会長の選任システムを国民世論で変えていくことが必要です。イギリスのBBCのように、公募・推薦制によって公開・民主の原則のもとに言論・報道機関のトップに最適任の見識の持ち主を選ぶ仕組みを確立することです。放送行政を政府から切り離す独立放送規制機構(独立行政委員会を含む)の設置は、いまや世界の大勢です。政府が放送行政を握っている国は、日本やロシアぐらいです。まず国民的議論を起こさなければ…。NHKの中でも働く人たちが力を蓄え、市民運動が彼らを包み込みながら大きなうねりを作り出していくことが重要です。
この1年余のNHKと籾井会長をめぐる動き
13年10月 安倍首相を囲む財界人の「四季の会」会合に古森重隆元経営委員長、石原進現経営委員ら
11月 安倍内閣が百田尚樹、長谷川三千子氏ら首相に近い4人を経営委員に任命
12月 経営委員会が籾井勝人・元三井物産副社長をNHK会長に選出
14年1月 籾井会長が就任会見で「政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない」など数々の暴言(のち取り消すが「考えは変わってない」と表明)
2月 百田経営委員が都知事選で田母神俊雄候補の応援演説に立ち「南京虐殺は東京大空襲など米国の蛮行を隠すためのデマ」と暴言
2月 浜田健一郎経営委員長が籾井会長について「自身の立場の理解が不十分」と「注意」(就任会見発言についで2度目)
2月〜 「放送を語る会」など7団体が会長辞任求める署名提出(署名7万超す)
3月 国会でNHK予算承認、6野党が反対
9月 退職者有志1572人が籾井会長の辞任を要求、代表7人が記者会見
15年1月 「爆笑問題」が年始番組で政治ネタを“没”にされたと暴露。籾井会長はこれを受け、会見で「政治家ネタで個人名を出すのはやめたほうがいい」