2014年7月12日(土)
成り立つの? こんな「言い訳」
集団的自衛権―政府のQ&Aをみる
集団的自衛権の行使容認の「閣議決定」の強行(1日)に国民の反対世論が高まるなか、政府と自民、公明両党が「一問一答」や「Q&A」をつくって言い訳し、うそとごまかしの宣伝をしています。その中身をみると―。
「“若者が戦地へ”は誤解」?
血を流すのは若者 徴兵制も
政府も自民党も「徴兵制が採用され、若者が戦地へと送られる?」という設問をつくり、「全くの誤解であり、明らかな間違いです」と否定に躍起になっています。それだけ、集団的自衛権の行使容認で若者が戦地へ送られるのではとの不安が高まっているからです。
不安は当然です。集団的自衛権の行使容認↓立法措置↓自衛隊の戦地派兵↓死者続出↓自衛官の志願者激減↓徴兵制導入が考えられるのです。
防衛庁(当時)の防衛研究所長、教育訓練局長などを務めた小池清彦・新潟県加茂市長は語っています。「自衛隊が米国並みに派兵すれば、おびただしい死者が出て、自衛隊に入ろうとする人がいなくなる。防衛力は維持しなければならないので、徴兵制を敷く以外に方法がなくなる」「自衛隊に入る人は祖国防衛のためです。今後は祖国防衛でなくて世界のいろんなところで戦争させられるわけだから、自衛隊に入る人はいなくなる」(10日、テレビ朝日番組)
政府は「憲法第18条で『何人も(中略)その意に反する苦役に服させられない』と定められ」「徴兵制は憲法上認められない」といいます。徴兵制が「意に反する苦役」にあたるという憲法の読み方、憲法解釈です。
政府は今後、この解釈を変えないでしょうか。自民党の石破茂幹事長は「徴兵制が意に反した奴隷的な苦役だと思わない」と述べています(2002年5月、衆議院憲法調査会)。
18条の解釈について元内閣法制局長官の阪田雅裕氏は「9条より変えやすい」と語っています。集団的自衛権の行使を認めない9条解釈は国会で長年議論した積み重ねがある一方、徴兵制と憲法については、積み重ねがないからだというのです(10日、同番組)。自民党の船田元・衆院議員(憲法改正推進本部長)も同じ番組で18条の解釈変更について「理屈上ありうる」と認めています。
集団的自衛権の行使となれば、他国の戦争で血を流すことになるのは若者です。その先には徴兵制も狙われることになるのです。
「戦争する国にはしません」?
海外での武力行使解禁
黒を白と言いくるめるとはこのことです。「閣議決定」は、「憲法9条のもとでは海外での武力行使は許されない」という従来の憲法解釈を百八十度転換し、「海外で戦争する国」への道を開くものとなっています。
自衛隊の海外派兵でこれまで「後方地域」「非戦闘地域」に限定してきた枠組みを廃止。銃弾が飛び交う「戦闘地域」で支援活動ができるようにしています。「戦闘地域」での活動は、相手国からの攻撃に自衛隊をさらし、攻撃されれば武力行使することになります。
集団的自衛権を行使して米国のアフガニスタン報復戦争に参戦した北大西洋条約機構(NATO)諸国の支援項目は「後方支援」でしたが、「戦闘地域に行かない」という歯止めがなかったため、米国以外の21カ国で1031人もの兵士が犠牲になりました。
さらに「閣議決定」は、「自衛の措置」を名目に、海外での武力行使=集団的自衛権の行使を公然と容認しています。いったん海外での武力行使に踏み切れば、ここでも相手国からの攻撃を招き、際限のない戦争の泥沼に陥ることは避けられません。
「自衛隊の任務は変わらない」?
他国への攻撃排除 任務に
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政府が「自衛隊員の任務は変わらない」との理由であげるのは、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるというときに我が国と国民を守る」からというもの。自衛隊の任務は「自衛」だと言いたいのでしょう。
ところが「閣議決定」は、自衛隊が武力行使できる条件を大転換しています。これまでは「日本への武力攻撃が発生した場合」でしたが、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生した場合」でも、これを「排除」するために武力行使できるとしています。これこそ集団的自衛権の行使です。
アフガニスタン報復戦争、イラク侵略戦争のような戦争を米国が起こした際、「密接な関係にある他国への武力攻撃が発生した」として、自衛隊が「戦闘地域」まで行き軍事支援を行うことになります。米国の戦争で、自衛隊員が海外で「殺し、殺される」という事態を招くことになります。
「厳格な歯止めかけた」?
すべて政府の判断次第
公明党などは“日本の存立や国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合”に武力を行使するのだから、集団的自衛権行使には「厳格な歯止めをかけた」と宣伝しています。
しかし、「明白な危険」があるかどうかを判断するのは、時の政権です。政府の想定問答集でも、武力行使の「要件」に該当するか否かは「政府が全ての情報を総合して客観的、合理的に判断する」と明記。集団的自衛権行使が必要かどうかも「時の内閣が主体的に判断」するとしています。何から何まで時の政府の判断次第になっています。
こうしたもとで国民が「では、判断した情報を明らかにせよ」と求めても、政府は「それは特定秘密です」と秘密保護法を盾に拒むでしょう。
国民にも国会にも真相が明らかにされないまま、時の政府の一存で海外での武力行使が制限なく広がっていく―どこが「厳格な歯止め」なのでしょうか。