2014年7月9日(水)
宮城・津波被災地 またカジノ計画
自民衆院議員も出席し誘致シンポ 「侮辱している」と怒り
東日本大震災の津波で大きな被害を受けた宮城県の仙台空港周辺に賭博場・カジノをつくろうという動きが、再び頭をもたげています。同県名取、岩沼両市にまたがる仙台空港ビル内で6月28日、カジノシンポジウムが開かれました。(竹腰将弘)
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主催したのは地元の建設会社社長がつくる「復興カジノ誘致委員会」。これをぴったりとサポートしているのは、カジノ推進で各地を回っている国際観光戦略研究所の木村慶一代表です。
事前にシンポの案内を受け取った日本共産党の小野寺美穂・名取市議は「こりない人たちですねぇ」と、心底あきれ声です。
この地域では、2011年3月11日の東日本大震災直後から、「復興のシンボルにカジノを」という木村代表らによる被災住民まで巻き込んだカジノ誘致運動が起こり、住民らの強い批判で市議会へのカジノ誘致の請願が3カ月後に取り下げられた経緯があるからです。(表参照)
この誘致運動の“受け皿”とされた「名取市東部震災復興の会」は、震災前109世帯400人が住んでいた同市北釜地区でつくられました。津波で大きな被害を受けた地区です。
震災2カ月で
震災からわずか2カ月という時期に、「会」が詳細なカジノ施設の計画書をつくり、避難所のなかで署名を集めたとして、請願は同年8月25日に提出されました。
議会で請願を審査した小野寺市議は、「震災さえなかったら、この人たちが土地を売りたいなどと考えるはずもなかった。弱みにつけこんでカジノを持ちかけるなんて」と、くやしさで涙がとまらなかったといいます。
被災地カジノ構想には、カジノ合法化をすすめている超党派のカジノ議員連盟も便乗。同年8月に発表した法案概要には「カジノの収益を復興財源に」と明記し、「復興財源のためにカジノ合法化を」というキャンペーンが行われました。
しかし、「いくらなんでもカジノはないだろう」という批判が広がり、現地では同年11月末に請願取り下げ。国会では日本共産党の大門実紀史参院議員の追及に、野田佳彦首相(当時)が「カジノを解禁しようという立場ではない」と答弁。村井嘉浩知事も「カジノはやらない」と明言し、「被災地カジノ」は、完全に終わった話のはずでした。
質問に逆ギレ
シンポジウムには、地元選出の秋葉賢也(宮城2区)、西村明宏(同3区)の両衆院議員(いずれも自民)が出席しましたが、出席するはずだった民主党参院議員や名取、岩沼両市長は欠席しました。
シンポジウム会場に緊張が走ったのは、会場から「移転先も決まらずに困っている被災者にカジノでどう還元するのか。依存症はどうするのか」という質問が出たときでした。
木村氏はこれに逆ギレし、「ここにきてカジノをやってもうけなくても、もうけられる場所は日本にいっぱいあるんですよ」と放言。電通カジノ事業担当部長の岡部智氏は「賭け事にのめりこむのは、それ(賭博場)があるからじゃなくて、個人的なことのはけ口がそこにきている」と答えました。
シンポ終了後。会場からさきの質問をした日本共産党の松田由雄岩沼市議は「バラ色の幻想ばかりふりまきながら、被災者を侮辱していることがはっきりした」と語りました。
被災地カジノの動き
2011年
3月11日 東日本大震災
4月27日 国際観光戦略研究所の木村慶一代表が名取市長訪問
5月16日 「名取市東部震災復興の会」発足
8月 名取市議会にカジノ誘致の請願書提出
同 超党派カジノ議連が法案の概要発表。「カジノの納付金を東日本大震災の復興財源に充てる」と明記
11月29日 「会」が名取市議会への請願取り下げ
12月6日
日本共産党の大門実紀史議員が参院予算委員会で追及。野田佳彦首相(当時)が「私はカジノを積極的に解禁しようという立場ではない」と答弁
12月13日
村井嘉浩宮城県知事が記者会見。「(仙台空港周辺では)カジノはやらないということをはっきり明言しておきたい」
2014年
6月28日 復興カジノシンポジウム