2014年7月5日(土)
2014 とくほう・特報
安倍流とナチ流 酷似するが…
国民だましの手口いまや通用しない
「国の交戦権は、これを認めない」と定める憲法9条を解釈によって変え、「海外で戦争できる国」に突き進む安倍晋三首相。「私たちの平和な暮らしも突然の危機に直面するかもしれない」「命と平和な暮らしを守るため、何をなすべきかだ」と国民に迫ります。この物言い、過去によく似た例がありますが、いまや通用しません。(西沢亨子、若林明)
国民脅し、不安感あおる
“守れなくて よいのか?”
「海外で突然紛争が発生して逃げる日本人を、米国が救助・輸送しているときに、日本近海で攻撃を受けるかもしれない」「NGOの人が危険な目にあっているときに、守れなくていいのか」
安倍首相は1日、集団的自衛権の行使容認の閣議決定の後の記者会見で、5月の会見とまったく同じ物言いを繰り返しました。
「現実に起こりえる事態への対処」「平和国家だと口で唱えるだけで平和な暮らしを守ることはできない」「平和な暮らしも、突然の危機に直面するかもしれない。『そんなことはない』と誰が言いきれるのか。そんな保証はどこにもない」と国民を脅し、「国民の命と暮らしを守るため法整備する」と言います。
戦争への動員“とても簡単”
こうした安倍首相の物言いによく似た過去の例とは、ナチス・ドイツが国民を戦争に動員したやり方です。
「(何者かから)国民が攻撃されると言い、平和主義者は愛国主義が不足し、国を危険にさらしていると非難すればいい。ほかに必要なことはない。この方法はどの国でも機能する」
ナチスで国会議長、空軍の総司令官を務めヒトラーの腹心だったヘルマン・ゲーリングが、戦争を好まない「平凡な国民」を指導者の命令に従わせ戦争に参加させる「とても簡単な」方法だとして述べたものです。
第2次世界大戦でのドイツの戦争犯罪を裁いたニュルンベルク裁判の被告たちを収容していた刑務所で、1946年4月18日に被告人の心理観察をしていた心理学者の大尉に語ったものです。
ドイツ近現代史が専門の永岑三千輝(ながみねみちてる)横浜市立大学名誉教授は、「ナチスは、ドイツ民族が生きていくには近隣諸国に広大な生存圏が必要だといい、強大な国防軍を構築して実現するしかない、国民的団結のために、左翼など軍備増強と対外膨張政策に反対する連中をまずつぶすべきだと主張し、実行しました」とナチスの手法を説明します。
第1次世界大戦の敗戦により、ドイツは植民地を失い、隣国と接する領土を削られます。少なくない保守派のドイツ人は「ドイツは生存圏を奪われている」と感じていました。
パリ講和条約でドイツの軍隊は10万人までに制限されました。ドイツ国民の中には「普通の国家として他の列強並みの軍事力を持つことは当然だ」という意見もありました。ナチスはこれらを利用しました。
人為的に脅威作り出す
「安全保障化」の考え方そのもの
徳島大学の樋口直人准教授は、ゲーリングと安倍首相の発言を「典型的な『安全保障化』のやり方」だと指摘します。
「安全保障化」論はヨーロッパの安全保障研究のなかで提唱された考え方です。安全保障上の問題というのは、客観的に存在するというより、誰かがある事柄を「これは脅威だ」と言い、周囲がそうみなすことによって人為的に作りだされる、という考え方です。
例えばイラク戦争は「大量破壊兵器が危険だ」とされて始まりましたが、実際には大量破壊兵器は存在しませんでした。「現実に大量破壊兵器が存在することではなく、アメリカがイラクを危険だと名指しすることで安全保障の問題になったわけです」と樋口さんは説明します。
安全保障化とは「生存への脅威を盾に、通常の政治的手続きの範囲を超えたイレギュラー(非正規)な意思決定を正当化し進めること」だとされます。
ゲーリングの発言について樋口さんは、「安全保障化の考え方そのままといえる」。安倍政権の場合も、「集団的自衛権の行使を閣議決定による憲法解釈の変更で認めるのは、明らかに通常の政治的手続きの範囲を超えている」と指摘します。
「ただし、誰かが『脅威だ』と言っても、周りが『そうだな』と思わなければ、安全保障化されません。その点で安倍首相の物言いは稚拙で、脅威として持ち出す例も非現実的。これで国民を説得できるのかなと思います。首相会見からは逆に、いまの日本にとって差し迫った脅威なんて無理やり探してもこの程度、ということが浮かび上がったんじゃないでしょうか」
確かに「読売」の世論調査(4日付)でも、集団的自衛権の限定的行使「評価」36%に対し、「評価しない」が51%にのぼり、首相会見以前の同紙調査(5月12日付)の63%から減っています。「毎日」(6月29日付)では、「行使容認は抑止力になる」という首相の説明に「そう思わない」が62%と国民の多くは安倍首相の議論を見抜いています。
樋口さんは言います。「根拠のない脅威をことさら作り上げるより、憲法を守って枕を高くして寝ている方が、よほど安全保障にとっていいですよね」
戦前と今 決定的違いは
安倍首相の解釈改憲の策動からは、「いつのまにかナチス憲法に変わっていた」「あの手口、学んだらどうか」という麻生太郎副総理の発言(2013年7月29日)が思い出されます。
しかし、永岑さんは、ナチスは“静かに”“いつのまにか”民主主義憲法を破壊したわけではないと指摘します。
「ヒトラーが権力を握る全権委任法の成立(1933年3月)に至る過程は、まさに謀略と弾圧の連続です。ナチスは法成立の直前の国会議員選挙で、憲法改定のために3分の2の議席獲得を狙っていました。そのために、共産党の事務所を襲撃し、さまざまな脅迫を行いました」
さらに選挙期間中に、国会議事堂放火事件を共産主義者の計画的な犯行だとでっちあげ、4000人以上の共産主義者を逮捕しました。
「これらの弾圧を見ていた中間派の中央党や人民党は、ナチスに抵抗したら弾圧されると考え、国会で『全権委任法』に賛成しました」と永岑さんは独裁を可能にした翼賛状況を指摘します。
戦前の日本でも侵略戦争を推進するために、日本共産党以外の政党が解散し「大政翼賛会」をつくる翼賛状況がありました。
いま、維新の会やみんなの党が集団的自衛権の容認で自民党にすり寄り、首相の暴走を支えています。憲法9条の明文改憲を狙う「改憲手続き法」の改定が、日本共産党と社民党以外のすべての党の賛成で成立しています。国会の“翼賛状況”です。
一方で、今の日本では日本共産党が国会でも、各地域でも国民と共同して活動しています。ここに戦前日本との決定的な違いがあります。
ヒトラーの腹心・ゲーリングの発言
「国民は戦争を望まないが、参加させるよう仕向ける」
「もちろん、平凡な国民は、戦争を望まないだろう。ロシアでも英国でも米国でも、同様にドイツでもだ。このことは明白だ。しかし、最終的に政策を決定するのは一国の指導者であり、…国民を一緒に参加させるように仕向けることはいつでも簡単だ」
「国民はいつも指導者の命令に従うように仕向けられてしまう。それはとても簡単なことだ。国民が攻撃されると言い、平和主義者は愛国主義が不足し、国を危険にさらしていると非難すればいい。ほかにやる必要なことはない」