2014年6月8日(日)
2014 焦点・論点
大飯原発差し止め訴訟判決
同訴訟原告代表 中嶌 哲演さん
人びとの声と願いが結晶 原発ゼロへ「巨石投じた」
「原子炉を運転してはならない」―。福井県内外の住民が関西電力大飯(おおい)原発3・4号機の再稼働差し止めを求めた裁判で、福井地裁は画期的な判決を出しました(5月21日)。原発なくせの運動に40年余たずさわり、同訴訟で原告代表をつとめた中嶌哲演さんを小浜市に訪ね、判決の意義と運動について聞きました。
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―今回の判決には特別の思いがあると思いますが。
判決は二重の意味で感無量でした。3年前の3・11福島第1原発の事故以降、広範な人たちの間にはじめて「安全神話」に反対する世論と運動がまき起こりましたが、それが今回の判決に凝縮しています。私たちだけで勝ち取ったものではなく、広範な人びとの声と願いが結晶した“共有財産”です。
同時に、原発事故以前からこの福井で原発建設反対を40年以上にわたって訴え、司法の分野で敗訴につぐ敗訴で、勝利することを1回も経験しないで亡くなった多くの先人たちの無念の思いがあるわけです。そういうこと一切合財をふくめ感無量の思いです。
―全国の運動を励ましていますね。
判決は冒頭から、一人ひとりの生存し生活し幸福を追求する権利である 「人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つ」とのべ、被害をもたらす施設の運転差し止めを請求する権利が住民に十二分にあるときっちり認める、すばらしい判決でした。
その立場から原発の稼働が電気をつくるための経済活動の自由に属するもので、「憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」とのべています。何が優位で何が劣位なのかが明確です。この基本的考えが全体に貫かれていて感動を呼びます。
また判決は、原発が運転を停止したあとも電気と水で原子炉を冷やし続けなければならず、いったん事故が発生するとそれが拡大していくという他の技術と違った 「原子力発電に内在する本質的な危険である」 と鋭く指摘しています。
地震問題では関西電力の主張を詳しく反証し、 「地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない」 と「安全神話」を断罪しました。
さらに原発の運転停止が国富の喪失につながるという推進派の議論について、「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と対置しています。
法廷では、この国富論のところで傍聴席が大いに沸きました。
―判決はそうした精神を、福島やチェルノブイリの現実で裏付けていることが印象的です。
そうです。福島で避難生活を余儀なくされ、多くの人が「命を縮めたことは想像に難くない」と実情をよく踏まえています。
私はとくに判決冒頭の主文で、大飯原発から「250キロメートル圏内に居住する」原告との関係で原発を運転してはならない、とのべていることがきわめて重要だと思います。250キロ圏といえば大飯原発なら大阪も神戸も和歌山も圏内です。国内すべての原発の250キロ圏内の人びとは原発の影響をうける当事者だということです。
この250キロ圏の根拠は事故当時の政府の原子力委員会の近藤駿介委員長が菅首相に出した最悪シナリオにある想定です。政府機関の専門家トップの想定を根拠にしているのです。
反原発の運動にとって大電力消費地域の住民にどう当事者意識をもってもらうかで、私をふくめ大変苦労してきたわけですが、これはすごい力になります。
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―法廷闘争が実を結んだんですか。
そう思います。原告団と弁護団が連携して論陣を張りました。昨年4月の原告側の意見陳述では福島の2人を含め8人の原告がすばらしい陳述をしました。私も福島の声、子どもたちの声を極力紹介しました。
「原発はいちどに何もかもを/奪っちまった。/原発さえなかったらと/壁さ チョークで遺書を遺(のこ)して/べこ飼いは首を吊(つ)って死んだ。/一時帰宅者は/水仙の花咲く自宅の庭で/自分さ火つけて死んだ/放射能でひとりも死んでいないだと…/この うそこきやろう 人殺し/原発は 田んぼも畑も海も/ぜーんぶかっぱらったんだ…」(青田恵子「拝啓東京電力様」から)
法廷で大きな声でこの詩を読み上げました。
原告の一人が「私たちが思ったり願ったり主張してきたことを、裁判官が表現してくれている」といっていましたが、そのとおりだと思います。
―嶺南地方の敦賀や若狭地域では長年原発反対の運動がありました。
この地方は15基の原発が集中している世界一の密集地帯、「原発銀座」ですが、いずれの1基たりとももろ手を挙げて歓迎したものはない。どの原発建設でも反対運動がありましたし、あと一歩、二歩で建設を阻止できたかもしれないという大反対運動もありました。それらはことごとく“金力・権力・暴力”で押しつぶされました。暴力は国家暴力で、機動隊や警官隊、何台もの機動車でデモを押さえつけ、参加した公務員に目をつけて逮捕する、そうして形ばかりの公開ヒアリング(公聴会)をして建設を強行していきました。
私は「原発マネーファシズム」といっているのですが、いったん建設されてしまうと、住民がものを言わなくなっていく。見ざる・聞かざるを決め込んでいかざるをえない雰囲気が強まる。そういう結果だけを県外の人が見ると福井県はどうなっているんだと思われるかもしれない。しかし、数十年にわたる経過があってそうなっている。唯々諾々と認めたなどとんでもありません。
そういう中で小浜市だけは市民の運動の結果、関電が計画していた4基の原発や使用済み核燃料の中間貯蔵施設をつくらせませんでした。1968年から40年余の間に、「原発設置反対小浜市民の会」などが、全市民を対象とした署名運動を何回も起こし、住民投票もやり、市長選挙などをつうじて世論をつくり、5回建設を阻止しました。
しかし小浜の周囲には15基の原発があります。
今回の判決は、反原発・脱原発に向けて「一石を投じた」以上に「巨石を投じた」のだと思います。大きな波紋がいまも広がりつつあります。福井では住民自治・地方自治の本領を発揮し、署名を集め知事などに再稼働をやめさせ、原発関連の雇用や経済を転換して、住民に安全・安心の自然環境と生活が保障される原発ゼロ社会を連帯の力でめざしていきます。
聞き手 山沢 猛
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