2013年12月7日(土)
主張
秘密法国会の暴走
国民無視では政治は担えない
安倍晋三政権とその与党の自民、公明両党は、主権者である国民をなめているのか―秘密保護法案をめぐる連日連夜の暴走に、国民の怒りは文字通り沸騰しています。国民の過半数が法案に反対し、7割、8割の国民が慎重審議を求めているのに、衆院に続き参院でも強行「採決」を繰り返し、会期を延長してまで成立を図る―。安倍政権にはもはや民主主義を語る資格はありません。憲法違反の法案を、議会制民主主義を踏みにじるやり方で押し通す政権には、国民代表としての資格がありません。
強行「採決」の夜に宴会
自民、公明の与党が参院の特別委員会で質疑を打ち切り、秘密保護法案を一方的に強行「採決」したと称している5日夜、安倍首相がエコノミストとの懇親会や新任の女性秘書官の歓迎会をはしごしていたという事実ほど、首相の姿勢を浮き彫りにしているものはありません。同じ時間、国会は参院本会議の開会をめぐって対立し、国会の外では昼間から続々つめかけた秘密保護法案に反対する人たちが、師走の冷え込みの中、抗議の声をあげていました。
取り巻きに囲まれ、自慢話にふける安倍首相には国民の姿が見えないのか、その声が聞こえないのか。自民党の石破茂幹事長は、国会に詰めかけた人たちの叫びを「絶叫」とやゆし、秘密保護法が対象にする「テロ行為」と同列視して謝罪させられましたが、国民の声に“見ざる、聞かざる”を決め込む安倍首相も、その本質において変わりはありません。
国民の声に耳を傾けない政治家は、民主主義とは無縁です。国民の声を聞かず、まともな説明もできない首相の政権には、政治を担う資格がありません。強行を繰り返す安倍政権の姿は、強さではなく、弱さのあらわれです。
安倍政権が強行までして成立をはかった秘密保護法案そのものが、もともと民主主義とは無縁の悪法です。「行政機関の長」が「安全保障」の妨げとなると判断すれば、どんな行政情報でも「特定秘密」と指定し、国民に隠すことができます。故意であれ、過失であれ、漏らした公務員も、情報を求めた国民も重罪です。主権者である国民から、その権利行使に不可欠な「知る権利」を奪い去る―そんな悪法を持ち出し、成立を強いる政府が、民主主義や国民代表の名に値しないのは明らかです。
自民、公明の与党が、国民の反対世論に押され、一部の野党に示した「特定秘密」の指定や解除を監察する「第三者機関」を作るという提案そのものも、秘密保護法の反国民的な本質を証明しています。首相がつくる諮問会議や首相官邸や内閣府内の監察機関でごまかし、「秘密」は徹頭徹尾、政府から外に出ないようにしようというものです。その発想そのものが国民を信頼せず、国民を情報漏えいの犯罪者扱いする考えです。
違憲の法律やめさせる
秘密保護法は、国民主権の原則に反しているのはもとより、国民を重罰で脅す基本的人権の侵害の点でも、国家安全保障会議(日本版NSC)の設置と一体で「戦争する国」をめざす平和主義の侵害でも、憲法の諸原則を破壊する最悪の違憲立法です。憲法違反の法律は、国民の手でやめさせてこそ、「国民が主人公」の政治のあるべき姿ではないでしょうか。