2013年9月1日(日)
歴史の歪曲許さず
関東大震災90周年で集会
1923年9月1日に起きた関東大震災は、10万人以上の死者・行方不明者を出し、そのさなか「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などの流言・デマによって多くの朝鮮人・中国人が虐殺される事件がありました。90周年の節目を迎えるにあたり、「犠牲者を追悼し、史実の歪曲(わいきょく)を許さず歴史の真実を学びあい『今』を考える」記念集会が31日、東京都内で開かれ、320人が参加しました。
朝鮮人虐殺 伝え続ける
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主催は関東大震災90周年記念行事実行委員会。
歴史教育者協議会副委員長の坂本昇さんはこの間、東京や横浜で関東大震災について副読本から「虐殺」の文字が消えたことについて報告しました。「慰安婦や南京大虐殺と同様、いま関東大震災の歴史の歪曲が組織的に始められている」とし、「歴史の真実に学び、平和・人権・民主主義の徹底を求める声を若い人とともに世界へ広げていくことが重要」と語りました。
東京都墨田区で虐殺の実態を調査し、追悼碑の建立運動をすすめてきた「ほうせんか」理事の西崎雅夫さんが、当時の証言を元に報告しました。
「自分が生まれ育った東京で何があったのか知りたかった」と調査を始めた西崎さんは、犠牲者の遺族や目撃者、加害者の親族などから当時の様子を聞いてきました。「小さな地域ですが具体的にあったことを明らかにすることができた。被害者らから直接、話が聞けた最後の世代だと思う。リアリティーをもって次の世代につなげたい」と語りました。
また、被害者の実名を調査することにも力を入れ、名簿を作成。今年6月、韓国・ソウルで被害者について報告した際、ある女性から「犠牲者名簿に祖父・洪風Tの名前がない」と声をかけられた話を紹介。女性は、祖母から「祖父の遺骨を探して一緒の墓に入れてほしいと遺言されている」と話したといいます。孫の代になると個人情報も少なく、探すのはより困難になります。西崎さんは「情報があれば寄せてほしい」と呼びかけました。
鄭栄桓・明治学院大学准教授は、終戦直後からどのように国家責任が論じられてきたかに言及。「市民は早い時期から国家責任を問うてきた。日本側がどう対応したのか、今後、研究が必要だと思う」と語りました。
日本弁護士連合会が2003年に出した勧告(国に対し、謝罪と真相究明を求めたもの)づくりに参加した米倉勉弁護士は、震災当時の判決文を引用し、「軍人や警察、官憲が虐殺に関わった様子が分かる」と述べました。
国立歴史民俗博物館の北原糸子・客員教授は「関東大震災における、災害史研究の課題」、飛矢ア(ひやざき)雅也・明治大学助教は「共同の夢―アナーキズムと震災」について報告しました。
東京都内に住む大学院生は「歴史系の博物館の仕事に関わっているので、教育者や弁護士、研究者など多彩な報告者が、市民にどう歴史を伝えるのか、興味があって参加した」といいます。「胸に落ちる報告もあれば、違和感を持った報告もあったが、いつかそれが役に立つときもあると思う。勉強になりました」と語りました。