2013年8月27日(火)
訪韓 笠井議員に聞く
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日本軍「慰安婦」の被害者が共同生活を送る「ナヌムの家」(京畿道・広州市)―。この設立21周年を祝う記念式典に参加するため、日本共産党の笠井亮衆院議員は8月9〜12日、韓国を訪問しました。滞在中、韓国の国会議員や各界の人々と交流した同議員に、歴史認識や「慰安婦」問題解決への展望、寄せられた党への期待について聞きました。(聞き手 島崎桂)
「慰安婦」被害者 進む高齢化
賠償は急務
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昨年10月、「ナヌムの家」から日本の全ての国会議員に対し、「被害者の話を聞いてほしい」との招待がありました。これにこたえたのは、日本共産党だけで、私が代表して訪れて、被害者の話を聞くことができました。そのような経緯から、今年21周年を迎えた「ナヌムの家」と、併設する「日本軍『慰安婦』歴史館」15周年の記念式典に、日本からの来賓として日本共産党が招かれました。
2度目の訪問で改めて痛感したのは、「慰安婦」問題解決の緊急性です。記念式典(10日)が開かれた翌日、「ナヌムの家」で暮らしたハルモニ(おばあさん)の一人、李容女(イヨンニョ)さんが亡くなったとの悲しい知らせを受けました。
1926年生まれの李さんは戦中、16歳の時にミャンマーで「慰安婦」としての生活を強いられました。87歳で亡くなるまで、「ナヌムの家」と息子の家を行き来する活動的なハルモニだったといいます。
いま、被害者たちの高齢化が進んでいます。昨年、初訪問した際、ハルモニたちから「私たちのような被害者を二度と生んでほしくない」「日本政府の心からの謝罪を聞くまでは死ねない」との悲痛な訴えが寄せられました。
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日本政府は、被害に遭った方々が生きておられる間にこそ謝罪と賠償を行うべきです。寄せられた被害者の思いに背を向けることは、日本が過去の歴史を清算する機会を失うことにもなりかねません。
1965年の日韓請求権協定は、協定の解釈および実施に関する両国間の紛争がある場合、「まず外交上の経路を通じて解決するものとする」としています。
日本共産党は、日本政府に対し、この協定に基づき、韓国政府が求めている政府間協議に早急かつ誠実に応じるよう求めています。
理性的に、大義に立って問題解決を提起する党の立場は、多くの共感を呼びました。12日にソウルの韓国国会で行った韓明淑(ハンミョンスク)元首相、金相姫(キムサンヒ)女性家族委員長との会談で、金委員長は「外交委員長にも紹介する」とのべました。
志位委員長のメッセージに
大きな拍手
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日本政府は、65年の協定で「請求権の問題は解決済み」として、そのとき持ち出されなかった「慰安婦」問題に関する協議に応じる姿勢を示していません。
しかし、日本軍「慰安婦」問題が、被害者の告発で明らかとなり、政治問題化したのは、90年代以降のことであり、「解決済み」との主張は成り立ちません。
なぜ90年代になって初めて「慰安婦」被害の実態が明らかになったのか。野党・民主党の李洛淵(イナギョン)議員は「女性として、若いときにはとても言えなかったから」「家族もおり、貞節を重んじる国では口外できなかった」と理由を説明していました。
日本でも、原爆被爆者のなかには、みずから被爆した事実を、さまざまな差別、子どもたちの結婚や孫への影響を恐れ、戦後長い間公表できなかった人たちがたくさんいた。広島で被爆した私の母もそうだったと応じました。
侵略戦争と植民地支配によって、どれだけ多くの人生を狂わせたか。韓国でも親族間や社会での差別に対する不安や恐れから、被害者の方々が「慰安婦」としての生活を強いられた事実を明らかにできず、ようやく90年代になって初めて、重い口を開くことができた。日本政府は、その苦悩と思いをしっかり受け止めるべきです。
記念式典では、志位和夫委員長のメッセージを代読し「日本が、歴史に誠実に向き合い、誤りを真摯(しんし)に認め、清算をおこなってこそ、末永く日韓両国民の心通う友情を築いていくことができると確信しています」と伝えました。私自身もあいさつで、昨年の訪問後、テレビ討論で橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)に直接、「慰安婦」問題発言の撤回と謝罪、市長の辞任を求め、国会では岸田文雄外相に、「慰安婦」問題解決を迫ったことを紹介しました。
志位委員長のメッセージに、式典参加の韓国国会議員や地元市長、青年ら300人から大きな拍手が起こり、再会したハルモニたちからは「また来てくれてありがとう」など歓迎の声が寄せられました。
2015年は、日韓国交正常化50周年です。この節目を両国の友好関係の中で祝うためにも、「慰安婦」問題の早期解決は不可欠です。(つづく)