2013年5月12日(日)
成り立たない 安倍首相「侵略の定義」否定発言
国際社会で生きる道なくなる
「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」(4月23日、参院予算委)。安倍晋三首相のこの発言が、アジア各国だけでなく米国などでも波紋を広げています。戦前の日本による「植民地支配と侵略」について謝罪した村山富市首相「談話」(1995年)を否定するとともに、戦後の国際秩序にも挑戦するものと受けとめられているからです。しかし、安倍首相はいまだに発言を撤回していません。この発言をどうみるのか、考えてみます。(肩書は当時)
「侵略を否定する詭弁」
韓国紙も指摘
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なぜいま、安倍首相は「侵略の定義」などを持ち出したのでしょうか。首相はこの発言の前日、「安倍内閣として、村山談話をそのまま継承しているわけではない」(4月22日、参院予算委)と答弁。「侵略の定義」発言も、村山談話についての質疑で飛び出したものです。
韓国の中央日報(4月24日付)は、この発言について「日帝(日本帝国主義)の韓半島植民地支配が日本の視点では侵略ではないという意味に聞こえる。侵略の歴史を否定したい内心を表した詭弁(きべん)といわざるを得ない」と指摘しました。
この指摘のとおり、首相発言の真意は、日本による植民地支配と侵略の否定にあることは間違いありません。実際、その後の首相答弁では「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた。その認識においては歴代内閣と共通」とはいうものの、決して「植民地支配と侵略」という言葉は口にしません。
麻生太郎副総理ら4閣僚による靖国神社参拝も同じ考え方のうえにあることも明白です。
国連で「定義」は確定
総会3314決議「侵略の定義」など
では、安倍首相のいうように、「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」のでしょうか。
1974年12月の国連総会で採択された総会決議3314で「侵略の定義」は明確にされています。その第1条では、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若(も)しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使」であると明確に定義されています。この決議にもとづき「侵略犯罪」を定義した国際刑事裁判所の「ローマ規程」改正決議が2010年6月に全会一致で採択されています。
2度にわたる世界大戦とその後の国際紛争の経験から導き出された国際的な定義です。
ところが、安倍首相はこの決議について「安保理が侵略行為の存在を決定するためのいわば参考としてなされたもの」(8日、参院予算委)とのべ、過去の個別の戦争にはあてはまらないといい逃れようとしています。
しかし、日本の過去の戦争についていうならば、「侵略の定義」を持ち出すまでもなく明確な侵略戦争であることは国際的に確定しています。
なにより、日本が受諾したポツダム宣言は「日本国国民を欺瞞(ぎまん)し之(これ)をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は永久に除去せられざるべからず」(第6項)とのべています。国際連合憲章も53条で日本、ドイツ、イタリアがとった政策を「侵略政策」と規定し、その「再現に備え…侵略を防止する」としています。
安倍首相が「式典」まで強行して祝ったサンフランシスコ平和条約では、太平洋戦争を「侵略戦争であった」と認定した極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を受諾しています。
もし、安倍首相が「侵略の定義」が定まっていないなどとして、日本の侵略戦争を否定するなら、これら戦後国際政治の秩序をまるごと否定することになるのです。
「村山談話」から大幅に後退
侵略戦争への無反省論
安倍首相は、「侵略の定義」について「歴史家、専門家に任せるべきだ」と述べました。これは40年前の田中角栄首相の答弁にまで逆戻りするものです。
1973年の国会で日本共産党の不破哲三書記局長が「中国に対する戦争を、侵略戦争と考えるのか、それとも別の戦争と考えているのか」と質問しました。72年に日中国交回復をして帰ってきた田中首相は「後世、史家が評価することだという以外にはお答えできません」と述べ、侵略戦争の事実を認めませんでした。
89年には竹下登首相が、侵略戦争をめぐり田中首相と同じ答弁を繰り返しました。不破氏が「それなら、あなたは、ドイツのヒトラーがやった戦争について、これを侵略戦争と考えるのか」と質問すると、竹下首相は困って、日本の戦争だけでなく、ヒトラーの戦争に対してまで「後世の史家が評価すべき問題だ」「侵略戦争に対する学説は、たいへん多岐にわたっている。学問的に定義するのは非常に難しい」と驚くべき答弁をしました。この竹下答弁に驚いた在日米軍の準機関紙「星条旗」は、“竹下、ヒトラーの戦争を擁護”と批判する記事を掲載しました。
侵略かどうかの判断を「後世の史家」まかせにするのなら、現実に起きている国際紛争についても判断不能ということになり、現在と未来の国際社会で生きていく資格を失うことになります。まして、「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在」(国連憲章第39条)を決定する安全保障理事会に入ることなどできなくなります。
志位和夫委員長は第7回中央委員会総会で、こうした歴代自民党首脳の「無定見な侵略戦争への無反省論」から脱して、ともかくも過去の侵略戦争と植民地支配を「国策の誤り」と認めたのが村山談話だったと指摘。「この到達点から歴史認識を大幅に後退させようという姿勢も、絶対に許されるものではありません」と強調しました。