2013年2月4日(月)
陸自ヘリ訓練場撤去へ
愛知・田原市 7年間一度も使わせず
守りぬいた安全と豊かな自然
愛知県田原市で陸上自衛隊のヘリコプター訓練場が7年間一度も訓練を実施しないまま撤去されることが明らかになりました。地元住民をはじめ環境・平和団体、日本共産党の粘り強い反対運動が実を結んだものです。(愛知県・村上志郎)
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訓練場は、渥美半島の越戸(おっと)大山(328メートル)山頂にあります。大山一帯は、三河湾国定公園の特別地域に指定され、県有数の照葉樹林が残されています。オオタカやサシバ(タカの一種)の繁殖が確認されたこともあり、渡り鳥の飛来ルートにもなっています。
「大山のヘリコプター訓練場化を認めない会」の事務局長で自然保護運動をしてきた大羽康利さんは「猛禽(もうきん)類保護の観点で環境省にも働きかけ、『渥美半島の重要性は良く認識しています』と回答を得ていました。全国の自然・野鳥関係の方から『よかったね』と、歓迎のメールが届いています」と話します。
地元では、訓練場の計画が持ち上がったときから、反対運動をしてきました。
戦前には旧日本陸軍の無線電信施設、戦後も陸上自衛隊の無線中継所でした。防衛施設庁(当時)は2003年3月、取り壊した跡地(約1000平方メートル)を陸上自衛隊航空学校(三重県伊勢市明野)のヘリコプター離発着訓練場とする計画を発表しました。
7割が署名
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住民らは、「墜落事故や騒音が心配」「自然豊かな山でのヘリ訓練は認められない」と、設置反対の署名運動にも取り組みました。
大山は、田原市と旧渥美町(05年10月田原市に合併)の境にあり、地元の田原市越戸町は70%の世帯が反対署名に賛同、隣の旧渥美町土田地区も73%が署名し、反対の意見書をだしました。旧渥美町議会では04年3月22日、日本共産党の小瀬勝弘町議(当時)らが提案した反対意見書を賛成多数で可決しました。
日本野鳥の会や自然保護協会など全国各地の64団体・8000人を超える署名が防衛施設庁に届けられました。
しかし田原市長は05年9月、陸上自衛隊航空学校長と、1カ月あたり4回以内、30〜40分、訓練を認める「覚書」を結び、05年11月に訓練場が完成しました。「覚書」には、「周辺の自然環境に配慮する」との文言も入りました。
訓練場ができてからも、住民や自然保護団体は、訓練を実施させない運動を強めました。06年9月に初の離着陸訓練を実施する計画が明らかになると、訓練に反対する会などを結成し、抗議登山をよびかけました。結局天候不良もあってヘリコプターは着陸できませんでした。
「人間の鎖」
訓練場の撤去を求める大山登山・ハイキング、訓練場を包囲する「人間の鎖」も繰り返し行いました。防衛庁(当時)には、「猛禽類の渡りや繁殖に関する調査とその結果に基づく話し合い」の実施を求め、愛知県には大山にある防災行政無線施設の安全性の確保を求めました。
防衛省は、自然保護団体らの求めに応じて、10年から1年半かけて環境調査を実施。12年12月5日の地域自治会役員への説明会で、防衛省は「自然環境問題など余りにも規制が多く訓練を断念することにした。用地は財務省に返還する」と表明しました。3月には「覚書解除」の事務手続きが行われる予定です。
大山の麓に住み、計画段階から反対運動を続けてきた「大山ヘリに反対する地元有志の会」の安間慎さんは「住民の7割が反対の意思表示をし、10年間の粘り強い運動の成果です。住民や自然環境保護団体、平和団体、共産党が共同して反対運動を行った意義は大きい」と語ります。
日本共産党は、03年に訓練場計画が明らかになった当初から、住民らとともに反対してきました。河辺正男田原市議(当時)は04年3月議会で、04年2月に明野航空学校のヘリコプター事故がおきたことを取り上げ、住民の心配を代弁し、市に訓練場設置を拒否せよと迫りました。
八田ひろ子参院議員(当時)、もとむら伸子秘書(現、参院選愛知選挙区予定候補)は04年5月の「抗議登山」にも参加し、住民代表とともに防衛庁や環境省に計画中止を申し入れてきました。
もとむら氏は「安倍自公政権がいっそうの軍事力増強をすすめ、自衛隊を『国防軍』にしようとしています。その中で訓練場を撤去させ、住民のみなさんが安全と自然を守りぬいたことは、全国の基地撤去・機能強化反対の運動を大きく励ます成果です。平和憲法を守り生かすために一層、奮闘する決意です」と述べています。
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