2011年12月26日(月)
前防衛局長暴言の「底意」
米軍占領下の沖縄支配の構図
日米両政府が沖縄県名護市辺野古に計画している新基地建設のための環境影響評価書(アセスメント)の県への提出時期をめぐる田中聡前沖縄防衛局長の暴言問題。そこからは女性の人権否定にとどまらない「米軍占領下の沖縄支配の構図」が見えてきます。 (山本眞直)
那覇市でも有数の歓楽街、若狭大通の居酒屋「R」が暴言の舞台でした。田中局長(当時)が沖縄県政記者クラブによびかけて開いた「記者懇談会」(11月28日夜)。参加したA記者が振り返ります。「確か3千円会費でしたよ。まあフランクに懇談したい、ということでしたね」
事件が浮かぶ
「沖縄戦後教育発祥の地」。うるま市立城前小学校・同幼稚園の校庭に建つ記念碑です。同校にほど近い住宅街の民家。古老が教えてくれました。「ここが由美子ちゃんのお母さんの家です」
由美子ちゃん事件。1955年9月3日、石川市(現うるま市)で城前幼稚園生の永山由美子ちゃん(当時6歳)が米兵に拉致、乱暴されたあげく殺され、嘉手納海岸の米軍ごみ捨て場に捨てられました。
田中局長の暴言で県民の頭に浮かんだのがこの事件でした。
「単なる酒の席での悪乗り発言ではない」と指摘するのは大西照雄ヘリ基地反対協代表委員。那覇市内での九州・沖縄防衛議員連盟連絡協議会総会(11月16日)での同局長の講演を紹介しました。
同局長は、▽仲井真弘多県知事が辺野古への新基地建設について「地元の理解が得られない(建設案の)実現は事実上不可能」と主張している▽稲嶺進名護市長が新基地に強く反対し、同市議会も過半数が市長を支持している―としながらも、「地元中の地元の辺野古区」が、「条件を認めてくれれば容認すると決議している」ことを示し、次のように強調したといいます。
米軍占領下の1950年代、「土地の一括買い上げ」に島ぐるみの反対が巻き起こる中、辺野古区が補償などの条件つきで賃貸借契約に応じたことをあげ、「(条件で契約した事実を)われわれは重く受け止めている」(琉球新報11月17日付)。
島ぐるみ闘争は、この辺野古の契約で分断され、崩されました。田中前局長の発言は個人的なものではありません。民主党の前原誠司政調会長らが島袋吉和前名護市長ら推進派とくりかえし接触する底意が見て取れます。
環境アセス評価書の提出を米国に「公約」し、その時期を民主党政権は探っています。
県民の総意に
基地のない平和な沖縄―来年、復帰40年を迎える沖縄。19日には、稲嶺・大田両元知事、医師会長、県婦連会長など各界著名人による辺野古移設反対、評価書断念を求める県議会意見書の賛同アピールが出されました。そこには、次のような県民の決意が示されています。「普天間基地の閉鎖・返還、県内移設反対はいまや県民の総意です」