2011年12月8日(木)
主張
アジア・太平洋戦争70年
平和を築く決意と責任発揮を
いま放送中のNHKの連続ドラマが、戦時下の暮らしを描いています。男性は徴兵されて戦争に駆り出され、女性は服装も自由に選べない…。直接体験しなくても、戦争はつくづくいやだと思いながらご覧になっている方も多いのではないでしょうか。
1941年(昭和16年)12月8日のアジア・太平洋戦争の開戦からちょうど70年です。戦後生まれが大半になりましたが、日本が直接たたかった直近の戦争です。平和への決意を新たに、日本と世界でその責任を発揮するきっかけの日にしようではありませんか。
日中戦争から連続して
あの日当時の日本軍が、陸軍はイギリス領だったマレー半島のコタバルを、海軍はアメリカのハワイを攻撃、アジア・太平洋戦争が始まりました。当初は優勢だった日本軍は戦局の転換とともに次第に追い詰められ、3年8カ月後の45年8月の敗戦までに、多くの国民が犠牲になり、国内の主要な都市は空襲などで焼き尽くされました。二度と繰り返してはならない悲惨な経験です。
戦争は突然始まったわけではありません。ことしは当時「満州」と呼ばれた中国東北部で、日本軍が侵略のきっかけにするために引き起こした「満州事変」(31年9月18日)からちょうど80年でもありました。アジア・太平洋戦争は、「満州事変」、さらに37年7月の「盧溝橋事件」を経て全面戦争へと広がった、中国との戦争の連続です。日本政府は、中国からの撤兵を求めた国際社会の要求を拒否、中国への侵略戦争を続けるためにアメリカなどとの戦争を始めたのです。アジア・太平洋戦争が、アメリカなどに仕掛けられた「自衛」の戦争だったなどと正当化する見方は、まったく間違っています。
戦争はなぜ起こったのか、あの戦争はどんな戦争だったのかという基本問題は、戦後60年以上たった現在も、重大な問題です。
近年、靖国神社への首相や閣僚の参拝を策動した「靖国派」は、アメリカなどとの戦争は侵略戦争ではなく、アジア各国の「解放」のための「正義」の戦争だったと主張しました。その立場に立つ「新しい歴史教科書をつくる会」などの流れは、侵略戦争を美化する「歴史」と「公民」の教科書をつくり、各地で採択運動を繰り広げています。戦争をどう見るのかの議論は、あいまいにできない大問題です。
「満州事変」に始まる15年にわたった戦争で、2000万人を超すアジア諸国民と310万人以上の日本国民が犠牲になりました。戦後つくられた日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」ことを前文にうたいました。平和の決意をつらぬくためにも、侵略戦争への批判と反省は重要です。
アジア諸国民との連帯
戦後66年日本が自ら戦争を引き起こすことがなかったのは、戦争を放棄した憲法と、国民の世論・運動があったからです。アメリカとの軍事同盟のもと、戦争への策動はあとを絶ちません。二度と再びアジアの国々を侵略する立場に立たず、平和な連帯を広げることこそ日本の責任です。
日本共産党は戦前、侵略戦争と植民地支配に命がけで反対しました。その立場から今後も日本とアジアの平和のために力を尽くし、国民と力を合わせる決意です。