2011年3月24日(木)「しんぶん赤旗」
薬害イレッサ勝訴
父の無念晴らせた
女性原告、判決に涙
「国とアストラゼネカの責任が認められて、無念の思いを晴らすことができました」。父親を薬害イレッサで亡くした神奈川県在住の女性原告(46)は23日、判決を聞いて涙声で語りました。
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父親は、短期間に副作用の間質性肺炎で死亡しました。
「病院に駆けつけたときには、心電図のピーという機械音だけが響いていました」。父親と最期の時間を持てなかったこと、最期に立ち会えなかった自責の念と、悔しさが原告に加わった原点の一つです。
父親は2002年9月2日から「イレッサ」の投与を開始しました。2週間たったころから容態が悪化。熱が出て食欲もなく、起き上がることもできなくなりました。
10月10日、母親から「『あと1日か2日です。家族を呼ぶように』と言われた」と連絡が…。病院に駆けつけると父親の姿は、見る影もなくやつれていました。ショックで言葉も出ないほど変わり果てていました。
家に残してきた小学生の娘のことが気になり、いったん自宅に戻りました。
自宅に戻ると「危篤なので病院にすぐに戻るように」と、留守番電話に入っていました。病院にすぐに引き返したものの間に合いませんでした。あまりにも突然の父親の死でした。
投与前、父親の日記には「偉い新薬がアメリカよりも早く認可され8月末から保険が適用になる」「この薬は、がんの部位にのみ効いて他をいためないというすぐれもの」と書かれていました。
当時、妹は出産間際でした。亡くなった父親は、孫の誕生を心待ちにしていました。
女性は言います。
「2人目の孫の顔も見ずに亡くなった父。父の死が無駄にならず、がん患者の治療に生かせることがうれしい」
患者に大きな希望
原告団代表 「歴史的な判決」
「よし、やった!製薬会社と国の責任を認めた」―。支援者らは、裁判所から出てきた原告団代表の近澤昭雄さん(67)を大きな拍手で迎えました。
判決は、製薬会社とともに国にも責任があると示しました。薬事行政の適正化を求めるものです。近澤さんは「きょうの判決で抗がん剤治療が変わるでしょう。がん患者にとって生きていこうという大きな希望となります。歴史的な判決です」と笑顔で話しました。
弁護団事務局長の阿部哲二弁護士は「常識にかなった判断だ。薬害根絶に向けて大きな動きとなります」と評価しました。
札幌市から駆け付けた男性(47)は、薬害エイズの被害者です。判決が国の責任を認めたことにふれ、「薬を承認したのは国です。国民を守る責務を国は放棄すべきではありません」。妻(47)は「同じことが繰り返されないよう、厚生労働省は薬害がおきる構造を追究し対策を取らなければなりません」と強調しました。
解説
早期全面解決を
和解勧告で救済責任を指摘された国は、今度の判決でも法的責任を断罪されました。
アストラゼネカ社は、和解勧告、大阪、東京両地裁判決と3回にわたって厳しく法的責任を追及されています。
被告側は控訴することなく、直接話し合いの席に着き、早期全面解決を図るべきです。
「がん患者の命の重さを問う」裁判として6年半にわたって続けられてきた薬害イレッサ訴訟。抗がん剤による副作用死について救済制度がなく、判決を機に救済制度の創設が求められます。
「抗がん剤で亡くなってもやむを得ない」という医学界の常識に一石を投じた判決で、がん患者の生きる権利を基本においた治療に転換させる契機になること、「がん対策基本法」に「がん患者の権利」を明記することが望まれます。 (菅野尚夫)
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