2011年2月8日(火)「しんぶん赤旗」

「古典教室」質問に答えます 不破哲三

「社会的バリケード」という言葉の出典について


  「古典教室」第3回の講義を受講した方から、“「社会的バリケード」という言葉を『資本論』で探したが、見つからない。どこにあるのか”との質問が寄せられました。講義の時には、そこまで説明しませんでしたが、この言葉は、『資本論』第一部第三篇の「第八章 労働日」の最後の部分(新日本新書版2 525ページ)にある「社会的防止手段」という言葉を訳し変えた、いわば不破訳なのです。「バリケード」のもとのドイツ語は「Hindernis」です。

 問題の文章は、新日本新書版では、次のようになっています。

 「自分たちを悩ます蛇にたいする『防衛』のために、労働者たちは結集し、階級として一つの国法を、資本との自由意志的契約によって自分たちとその同族とを売って死と奴隷状態とにおとしいれることを彼らみずから阻止する強力な社会的防止手段を、奪取しなければならない」(『資本論』新日本新書版2 525ページ)

 この文章は、労働日をめぐる労働者階級の闘争とその成果である十時間労働法の意義を特徴づけたたいへん大事な文章なので、一昨年、『マルクスは生きている』(平凡社新書、2009年)を執筆した時に、読者にぜひ紹介したいと思ったのです。しかし、この訳文のままでは、読者に意味を読みとってもらえないだろう、と考えました。

 二つ問題がありました。

 一つは、マルクスの文章そのものが、いくつかの文章が入り組んだ形で結びついたもので、日本語にした場合には、その絡み合いをほぐさないと、意味を読み取ることが難しいものになっていることです。

 もう一つの点は、「社会的防止手段」という訳語です。この訳語では階級闘争によってかち取られ、労働者階級の生命と生活を守る「社会的ルール」づくりという十時間労働法の意義や役割がうまく表現されていない、と感じました。

 この言葉は、戦前から翻訳者を悩ませたものの一つだったようで、戦前・戦後の訳書には「柵(しがらみ)」(戦前の松浦要訳)、「障壁」(戦前の高畠素之訳)、「防止手段」(長谷部文雄訳、新日本新書版訳)、「保障」(岩波文庫・向坂逸郎訳)、「障害物」(大月書店・全集訳)、「後ろ盾」(筑摩書房・コレクション訳)など、さまざまな言葉があてられてきています。しかし、率直に言って、どれも的確な表現とは思えません。

 そこで手もとの辞書(『クラウン独和辞典』)を引きますと、「Hindernis…障害物、バリケード」とありました。これだ、と思いました。この言葉は、もともとは障害物という意味の語ですが、やがて、労働者や市民が決起した際、身を守るために築く「バリケード」を指す言葉としても、使われるようになったのでしょう。この訳語なら、マルクスがこの語に込めた意味を的確に表現できるのではないか、こう考えました。

 そこで『マルクスは生きている』の中では、いまの二つの点を考えて、マルクスの先の文章を、絡み合いをほどき訳語も変えて、次のような形で紹介しました。

 「マルクスは、これ[十時間労働法]を『半世紀にわたる内乱』の成果と呼ぶとともに、労働者は、最初に生産過程に入ったときとは『違うものとなって、そこから出てきた』と語っています。そして、この闘争に参加したたかった労働者たちがこのたたかいを通じて、どんな意識、どんな自覚に到達したのかを、次のような言葉で表現しました。

 責め苦の蛇(ドイツの革命詩人ハイネの詩からとった言葉――不破)から自分たちの『身を守る』ために、労働者たちは結集し、階級として、一つの国法、一つの強力な社会的バリケードを奪取しなければならない。

 そして、労働者が獲得目標とする社会的バリケードの内容を、次のように意義づけました。

 労働者たちは、自由意思で資本と契約を結び、労働力を売り渡すが、資本とのその契約は、労働者とその同族を死と奴隷状態におちこませる危険をもっている。それを阻止することに、この社会的バリケードの意義がある」(同書98〜99ページ)

 それ以後、私は、マルクスのこの文章を問題にする時には、「社会的バリケード」というこの言葉を使うようにしています。それが、この言葉にこめたマルクスの考え方を適切に表現しているし、またこれを出発点として大きく発展してゆく「社会的ルール」づくりの運動との連動性も的確にとらえることができる、と考えるからです。





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