2010年3月16日(火)「しんぶん赤旗」

「黒い雨」被爆の実相直視を

仁比議員、質問でとりあげ


 日本共産党の仁比そうへい議員が、広島原爆投下後に降った「黒い雨」による被爆の実相を直視し、被爆の地域指定の拡大を求めた質問(9日の参院予算委員会)が、これまで原爆による被害として認められなかった多くの「黒い雨」原爆被害者を励ましています。


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(写真)広島県「黒い雨」の原爆被害者の会資料より、3月9日予算委員会資料

 「その(『黒い雨』原爆被害者の会の)方々に、直接会うということがあれば私もお会いしようと思っています」。長妻昭厚生労働相が仁比氏におこなった答弁に、牧野一見・「黒い雨」原爆被害者の会事務局長は「今まで何度も厚労省に要請にいったが、大臣はあってくれなかった。今後の対応に期待したい」と述べます。

 これまで政府は、「黒い雨」の被爆に対して、調査者自身が「暫定的なもの」とする「宇田降雨図」を根拠に「大雨」地域のみを「健康診断特例区域」として、被爆者援護の前提的条件としていました。しかし、被爆の実態は「宇田降雨図」の指定地域よりもはるかに広範囲にわたることが広島市・県の調査や被害者の会の調査で明らかになりました。(図)

 仁比氏はこの地図を示し、政府に「これほどたくさんの方々ががんや肝炎、甲状腺機能障害などで苦しんでいる。その方々の証言を聞けば被爆者そのものだ。声を直接会って聞くべきだ」と厚労相に求めたのです。

 「黒い雨」の被爆者が、さまざまな疾病の原因は「黒い雨」による被爆であるとして、運動を始めたのは1970年代。当初、市、県、国は、「宇田降雨図」を根拠として、「黒い雨」の被爆者の声を聞こうとしませんでした。そんな中、78年に「黒い雨・自宅看護」原爆被害者の会連絡協議会ができ、継続的に県や市に要請を行うようになりました。

 30年以上経過した2007年に、広島市が2度目の「実態調査」に乗り出しました。翌年、広島県は広島市以外の安芸太田、北広島の両町でも調査すると表明しました。

 仁比氏の質問に対し、政府は「われわれも非常に関心を持っている。(調査の結果を受けて)その後の対応が必要であれば検討していく」と指定地域拡大を検討することも示唆しました。

 「18年間かけて、市が変わり、県が変わり、やっと国も変化してきた」と草の根の運動の成果を強調する牧野事務局長。そして「長い間、一緒に熱心にこの問題に取り組んでくれたのは、共産党です」とも語ります。



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