2009年11月28日(土)「しんぶん赤旗」
主張
日米「核密約」
公開・破棄し「非核の日本」を
岡田克也外相が設置した「密約」問題に関する有識者委員会(座長・北岡伸一東京大学教授)の初会合が開かれました。
有識者委員会は、岡田外相の命令にもとづいて外務省が行った密約調査の結果を検証するのが仕事です。対象は1960年の安保条約改定時の核持ち込みの密約、朝鮮半島有事のさいの戦闘作戦行動に関する密約、72年の沖縄返還時の核持ち込みの密約、原状回復補償費肩代わりの密約の4件です。国民をあざむく「日米密約」を検証し公開するのは当然です。政府はそのうえで密約すべてを破棄すべきです。
いまも機能し続ける
「核密約」を含めて日米密約は4件とも米側文書で明白になっています。にもかかわらず歴代自民党政権はその存在すら否定し続けてきました。米側が公開しているのに、一方の当事国である日本政府が否定し続けるのは通用するはずがありません。
「核密約」は日米安保条約の改定のさい日米両政府が締結したものです。59年5月20日に当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使が合意し、60年1月6日に両者が署名しました。表題は「討論記録」となっています。「核密約」を「討論記録」の形にしたのは、「日本政府がいかなる秘密取り決めの存在も否定できるようにするため」(66年米国務省・国防総省共同作成文書)です。
「討論記録」は、核兵器を積んだ米軍機や米艦船の「日本領海や港湾への立ち入り」は「現行の手続きに影響を与えるものとは解されない」と明記しています。旧安保条約下と同じように、改定安保条約下でも核兵器の自由持ち込みを保障するということであり、通過・立ち入りのさいには米側が事前協議を申し出てこないことを日米で認め合ったものです。
米軍の核持ち込みはいっさい認めないといいながら日本政府が核持ち込みの密約をかわしたことは、国民への重大な背信行為です。「核密約」は政府が「国是」という「もたず、つくらず、もちこませず」の非核三原則とも両立しません。政府が「自主的立場を貫くための根拠」(60年外務省文書)と強調した事前協議制度も含めて、日米安保条約のしくみそのものが問われています。
安保条約改定で米側は、旧安保条約下と同じように日本を米核戦略の拠点にし、自由出撃の基地にすることを押し付けようとしました。多くの国民が列島をゆるがす反対運動を行ったのは当然です。この国民の反対運動をおそれた日本政府が国民の批判をかわすために受け入れたのが日米密約です。国民を裏切って結んだ密約を続けるなど絶対に許されません。
「対等な関係」いうなら
これまでの外務省内の調査でも密約の存在はほぼ動かない事実となっています。問題は有識者委員会で検証し、政府が日米密約を公開したあとです。「米核抑止力」の維持のために核兵器の持ち込みを追認せよという動きは、核兵器廃絶の実現のために努力している国民を裏切るものです。
鳩山由紀夫首相が「対等な日米関係」をいい、「核兵器のない世界」の実現に取り組むというなら、「核密約」を含むあらゆる密約を破棄し、米国の「核の傘」から離脱すべきです。