2003年1月1日(水)「しんぶん赤旗」
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関口、大内田 あけましておめでとうございます。
志位 おめでとうございます。
関口 委員長は去年、臨時国会が終わった十二月十三日夜、小田実さんや鶴見俊輔、澤地久枝さんたちが主催した対イラク戦争反対の集会とデモに参加し、翌々日の日曜日十五日に成田をたち、十日間南アジア三国を訪問して、二十五日に帰国しました。非常に忙しい年末だったと思うんですけれども、その湯気の出たての話を聞かせていただきたいと思います。
志位 湯気のさめないうちにですね(笑い)。よろしくお願いします。
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関口 委員長は国際局長の緒方靖夫さん、次長の森原公敏さんらといっしょに成田を出発するときに、南アジアの三つの国の十二億人の人々との交流を始めるという気持ちで出かけたいという、非常にユニークなあいさつをして出かけたんですが、成果のほどはいかがでしょうか。目的は達成されましたか。
志位 はい。十二億人というのはたいへんな数で、内訳を言いますと、インドが十億三千万人、スリランカが二千万人、パキスタンが一億五千万人です。この人々を代表する政府と、わが党との公式の交流を開始するということが、今回の訪問の目的だったのですが、三つの国のそれぞれで、首相あるいは重要閣僚と会談ができました。それから議会の関係者ともお会いできました。交流の道は開かれたと思います。同時に、この旅は、私にとって、日本共産党の値打ちを“再発見”する旅でもありました。
大内田 なぜこの地域を選ばれたのでしょう。
志位 二つ理由がありまして、一つは、日本共産党の野党外交の積み重ねのうえに立って、今度の訪問を考えたということなんです。私たちは、九七年の第二十一回党大会でアジア外交重視の方針を決め、九八年に日中両共産党の関係正常化と不破委員長(当時)の中国訪問、九九年に東南アジア諸国の歴訪、昨年の秋には中東六カ国の歴訪と、具体化を重ねてきました。そういうなかで、南アジアの地域というのはたいへん多くの人口をもち、発展の可能性をもつ重要な地域なんですけれども、私たちとの交流は、共産党間の交流はあったんですけれども、政府との交流という点では未踏の地域だったのです。今回の訪問は、その地域の国々との交流を始めると。このことによって、わが党のアジア外交は、中国、東南アジア、南アジア、中東までふくむ、ほぼアジア全体を網羅するところまで広がることになりました。
志位 もう一つは、この三つの国がそれぞれ非同盟運動で重要な役割を果たしてきたし、現に果たしている国だということなのです。インドの初代首相のネールは、エジプトのナセル(大統領)、ユーゴのチトー(大統領)とならんで非同盟運動の三人の「始祖」といわれました。非同盟運動というのは、一九五四年のコロンボの会議、五五年のバンドンの会議を経て、六一年に第一回首脳会議が開かれるわけですが、コロンボの会議には、インド、パキスタン、セイロン(スリランカ)、インドネシア、ビルマ(ミャンマー)という五つの国が参加しているのです。この地域は非同盟運動の源流の地なのです。日本共産党は非同盟運動との連帯をすすめ、将来は非同盟・中立の日本をめざす党ですから、ここに大きな接点があるんですね。
関口 昨年は、インドと日本は国交樹立五十年、節目の年でしたね。
志位 そうです。これはなかなか重要な意味があるんですよ。インドの政府の方々とお話ししたときも、「五十一年」でなく、「五十年」だというところに特別の意味があると話したんです。つまり、一九五一年のサンフランシスコ講和条約にインドは参加していないのです。参加を拒否し、単独で五二年に平和条約をむすんで国交樹立をした。だから「五十年」なのです。
なぜ参加しなかったか。インド政府は、当時、米国に書簡を送り、二つの理由をあげています。一つは、この条約は、日本国民の自由を抑圧するものであるということ。沖縄、小笠原を取り上げ、米軍駐留を許しているという点を批判しています。もう一つは、中国、ソ連が参加していないということ。だからインドは参加しないんだと。これはサンフランシスコ体制に対する日本共産党の立場と同じです。そのことを話しますと、「そのとおりだ」と話ははずみました。
関口 話し合いはどういう点を中心におこなわれたんですか。
志位 非同盟運動、イラク問題、核兵器廃絶、印パ紛争、「グローバル化」、「テロと貧困」、「異なる文明間の共存」など、幅広くさまざまな問題で対話をおこないました。そのなかでも、“非同盟の精神”という共通のものがありますから、多くの一致点が確認されたのは、うれしいことでした。
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大内田 それぞれの国のいろいろな印象があったと思うんですけれど、特徴をお話しいただければ。
志位 そうですね。これは一言ではなかなか言えません(笑い)。それぞれ歴史があり、複雑な問題をたくさん抱えていますから。
志位 インドの現政権は、人民党(BJP)が中心になった連立政権です。長く与党にあった国民会議派は、いまは野党です。インド共産党(マルクス主義)を中心とする左翼は、現政権とはきびしく対決しています。
同時に、外交路線では、ガンジー、ネール以来の非同盟という立場は“国是”となっているというのが、私の印象です。シン外務担当大臣と会談したときも、「インド政府のよって立つ外交原則は、イギリスからの自由と独立をめざすたたかいによってつくりあげられたもので、五十五年間不変だ」とのべていたのが印象的でした。
この国は、誇りと自尊心がつよい国ですが、“こちらの論理を正面からぶつけると、相手もそれを正面から受けとめてくる”――そういう対話ができる相手だという印象をもちました。
関口 スリランカは、仏教、ヒンズー教、キリスト教、イスラム教と多面的な宗教がある国ですね。
志位 ええ。ここでは現政権は、統一国民党が担っています。共産党をふくむ人民連合はそれに拮抗(きっこう)した力をもつ野党勢力です。この国は、大きくはない国ですが、非同盟運動では、独特の重要な役割を果たしています。非同盟運動の源流となった一九五四年のコロンボ会議が開かれたのもここですし、七六年にはコロンボで第五回首脳会議を主催しています。非同盟運動の大切な“要石”的な役割を果たしている国だと思います。
国づくりでも、独特のものがあります。教育と医療は無料。国名もスリランカ民主社会主義共和国。外交も、インド、東南アジア、中東、アフリカの全体をみた、独特の視野の広い外交をやっているという印象でした。
ただ、スリランカでは、十九年間にわたって国内の紛争――政府とタミル人の武装勢力の紛争がつづいてきました。しかし、それもこの間、和平プロセスがすすんで、双方が話し合いによって和解の道を見いだそうとしています。ウィクラマシンハ首相と会談したときに、“この紛争を解決して、世界の紛争解決の新たなモデルにしたい”とおっしゃっていました。平和な国づくりへの強い意気込みを感じました。
関口 パキスタンはクーデターでできた軍事政権という先入観のようなものがあるのですが、訪れてみてどうでしたか。
志位 この国は、建国いらい、民政と軍政を繰り返している歴史がありますが、そのなかでもこの間総選挙がおこなわれ、民主主義を根づかせる努力がおこなわれているということもよく見る必要があると思います。
私が会ったダニヤル・アジズ国家再建局長官は、四つの州のもとに、さらに三段階にわたる地方自治の組織を、選挙によって根づかせる仕事に、とりくんでいました。「地域社会の行政組織をつくらないと、汚職がはびこることになる」と熱心に話してくれました。先入観で見ないで、ありのままのプロセスをよく見ることが大切だと思います。
大内田 ダニヤル・アジズさんは、広島の原爆資料館を訪れたり、阪神・淡路大震災のあとを見にいらしたりしていますね。
志位 ええ。「厳粛な経験だった」といっていました。この国は、大国の横暴勝手の被害を受けてきた国です。とくに一九七九年のソ連によるアフガニスタン侵攻でひどい被害を受けた。あの戦争によって、三百万人の難民が流れ込みました。ソ連製の銃、麻薬も流れ込んだ。一昨年のアフガンへの報復戦争では、「前線国家」としての役割を担わされ、新たな難民を受け入れた。大国の横暴勝手の被害を受けてきた国です。
日本共産党が、ソ連のアフガン侵攻を「侵略」と断定してきびしく批判し、たたかいつづけたことを紹介すると、「よく存じている」(カムラン・ニヤズ外務次官補)と知っているのです。シャウカット・アジズ財務大臣と会談したときには、「ソ連とは激しい論争になったが、相手が先につぶれた」というと、アジズさんも「答える前につぶれたんですね」と応じる。すぐに呼吸があって話がはずむ。大国の横暴は許せないというのは、この国の人たちの切実な思いだと感じました。
関口 パキスタンは共産党の存在を認めていない国です。日本共産党についてはどう理解されているのですか。
志位 それが、こちらがびっくりするくらい、よく知っているのです。アジズ財務大臣と会談したときの最初の言葉は、「私は日本共産党についてよく研究しました」というものでした。カーン下院副議長と会談したときは、私が工学部出身だということまで知っていました。(笑い)
大内田 「テレビにも出て人気があると聞いている」ということも言われたようですね。(笑い)
志位 ともかくパキスタンという国は、大国の横暴の被害をうけ、インドとの間で大きな紛争問題を抱えているという国だけに、“外交にたいへん力を入れ、相手をよく理解することに努めようとしている国”だと感じました。
関口 イスラムに影響力のある国としても重要ですね。
志位 イスラム諸国会議機構(OIC)には、五十七カ国が参加し、十二億人の人々が暮らしているんですよ。パキスタンは、サウジアラビア、エジプトなどとならんで、その中心国の一つです。イスラム世界との私たちとの本格的交流という点でも、中東歴訪につづいて、大事な意味をもったと思います。
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関口 さて会談の中身ですが、イラク情勢が緊迫しています。イラク問題での会談の中身に注目していましたが、どうでしたか。
志位 これは、もっとも重視して話し合った問題でした。結論を言いますと、三つの国すべてで、イラクに対する一方的な軍事攻撃に反対し、国連の枠組みの中で平和的な解決をはかる――この点での一致が得られました。これはたいへん大切な収穫だったと思います。
私たちが重視した論だては、“国連憲章にもとづく平和秩序を守るという一点での共同を”ということでした。この立場で話し合えば、どことでも一致するというのが実感ですね。
アフガンへの報復戦争にさいしては、インドは米軍の軍事作戦に基地を貸しています。パキスタンは、米軍が乗りこんで「前線国家」とさせられている。そういう国とも、イラクに対する攻撃は許されないという点で、一致点が得られたというのは、たいへん重要なことでした。
関口 国連の枠組みのなかでの平和解決という点では、三つの国の政府とも「そのとおりだ」と。
志位 ええ。私がそのことを言うと、「それはわが政府の立場でもある」と、三つの国のすべてで一致が得られるのです。イラクは、南アジアのすぐとなりにある。南アジアから、中東方面に出稼ぎに行っている人も多い。経済被害も甚大という不安もあります。どんなことがあっても、この地域での戦争は食い止めたいという切実な思いで共通していました。
大内田 出かけられるとき、そういう合意ができるという確信みたいなものはあったのですか。
志位 わからない面もありました。たとえばパキスタン政府は、この問題で発言するのはなかなか難しい立場にあります。米軍が、いまなおパキスタンに駐留しているわけですから。そういう国でも、イラクへの戦争には反対するということが一致になったのは、うれしかったですね。
関口 インド、パキスタンとも核保有国ですね。どういう点を意識して発言したんですか。
志位 私たちは、一致点を探ることと同時に、言うべきことは言っておかなければならないと。そうでなくては日本共産党とはいえないですから(笑い)。しかもそれぞれに対して、公平に、ひとしく言おうと。そういう立場でのぞんだ問題が二つあります。一つは核兵器の問題、もう一つは印パ紛争の問題です。
核兵器の問題でも、やはり論だてが大事です。私が会談を準備するさいに、これは今に生きる力をもっているなと思ったのは、一九九八年の印パの核実験のさいに、不破委員長(当時)が核保有国五カ国に出した書簡なんですよ。この書簡は、「印パの核実験に厳しく抗議することは当然だが、両国に抗議するだけではこの問題は解決しない。NPT(核不拡散条約)という、『核を持てる国』と『持てない国』の差別の体制が、矛盾におちいり破たんしたというのが現状だ。これを解決するためには、地球的規模での核廃絶に進むしかない」と提起しています。この立場で話しますと、インドもパキスタンも、「核兵器廃絶は当然だ」「被爆国である日本が、そういう主張をするのは理解できる」という議論になっていくわけなんですね。
関口 同時に、二つの国はカシミール紛争という深刻な紛争問題を抱えていますね。
志位 インドとパキスタンが建国された一九四七年いらい、複雑な歴史的経過のある問題で、簡単に解決がつくような問題ではないのですが、この問題で力を発揮したのは、昨年六月に不破議長と私が連名で両国に出した書簡でした。この書簡は、話し合いでの平和解決と、核兵器不使用ということを訴えたものでしたが、この書簡の立場で双方にわが党の立場をのべますと、インドのフェルナンデス国防大臣は、「憂慮してくれていることに感謝する」という。私が、「核戦争は絶対に避けてほしい」というと、「あなたに保障する。そんなことにはならない」ということも言明しました。
パキスタンのニヤズ外務次官補は、わが党の立場について、「健全なアプローチだ」ということを言いました。パキスタンのカーン下院副議長との会談で、「インドのフェルナンデス国防大臣にも同じことを言ってきた」という話をしたら、「ありがたい。ぜひ将来もその努力を願いたい。平和的に解決したい」ということを言われました。
それぞれ、簡単にはいかない問題ですが、核兵器問題、印パ紛争の双方について、わが党は大事な場面できちんと態度表明をし、働きかけてきた。それがいまに生きている。これがとてもうれしいことでしたね。
大内田 貧困がたいへんで、それがテロの温床になっているという感じも受けるのですが、そのあたりは…。
志位 「グローバル化」の光と影といいますが、影をたくさん背負わされている地域ですね。途上国には、貧困の問題、環境破壊の問題、金融投機の問題と、いろいろな矛盾が集中しています。
ただ、私たちは、単純な「グローバル化反対」という立場ではありません。大国中心の世界化ではなくて、諸国民の主権を尊重した、公正で民主的な世界化が大切だというのが私たちの立場です。これを言いますと、話がかみあってくるのです。
インドのフェルナンデス国防大臣は、「同意する。われわれの課題は、アジア全域で、各国がともに協力して、経済をすすめることだ」とのべました。私が、「アジア諸国の経済主権を守り、互恵の立場で、協力をしていくことが必要だと思う」と言うと、「ぜひ日本にイニシアチブをとってほしい」という注文が返ってきました。
それぞれの国の経済主権を守りながら、アジアが協力して平等・互恵の経済関係をもっと強めたいという思いは切実です。そういう立場でアジア諸国との関係を考えなければいけないと痛切に感じました。
パキスタンのアジズ財務大臣と会談したときに、先方がまずぶつけてきたのは、「テロの根源に貧困がある。貧困の削減に日本は協力してほしい」ということでした。私は、「テロと貧困の関係は、そのとおりだと思う」とのべ、「この問題にかかわって、国際社会が考えなければならない二つの問題があると思う」と答えました。一つは、パキスタンが、世界最大の難民受け入れ国であり、大きな経済的重荷を背負っている。これにはやはり国際的支援が必要だということです。
もう一つは、重債務国の問題です。世界にたくさんの重債務国があるけれども、多くの場合の原因には大国の横暴勝手があります。これに対しては債務の帳消し、あるいは軽減を考えなければならない。こういうわが党の立場をのべますと、通じあうものがありましたね。
関口 先ほどの会談のなかの重要な柱に、「異なる文明の平和共存」というのがありましたね。重要であり、難しい問題でもありますね。
志位 一昨年の同時テロのさいに、不破議長が、「文明の衝突」ではなく、「異なる文明の平和共存」が、二十一世紀の世界にとって大切になってくるという問題提起をしたわけですけれども、こんどの訪問を通じて、実感としてもこれが非常に大事だと思いました。
パキスタンは、イスラム教を国教としている国です。その国との対話で、私が、「民主主義というのはそれぞれの発展の仕方がある。日本には日本の民主主義の発展のプロセスがある。中国には中国の民主主義の発展のプロセスがある。イスラム社会にはイスラム社会の民主主義の発展のプロセスがある。それをお互いに尊重しあい、平和的に共存しあうということが大事だ。何か一つの『価値観』を絶対視して、その『価値観』にあわないものはだめだといって押しつけるという独善主義が一番悪い」ということを言いますと、たいへん気持ちが通いあうという感じなのです。
アジズ国家再建局長官にその話をしましたら、「すべて同意する。一つだけ不同意がある」という。何だろうと聞くと、「それは日本の寿司(すし)だ。これはおいしい。この押しつけならいい」(笑い)。そこで、「今度日本に来たときには一緒に寿司を食べよう」という話で終わりました。(笑い)
大内田 イスラム圏では、お酒は原則禁止で、外国人でも飲むのに手続きがいると聞きましたけれど。
志位 パキスタンでは、外国人の場合、パスポートを見せて、書類を何枚も書くと、お酒が飲めるんですよ。なかなか寛大で、外国人には押しつけないという決まりになっている。実は、内幕を話しますと、緒方さんが、それをやってみよう、私が書類を何枚も書いている姿を写真にとって、イスラム圏で酒を飲んだという記録を作ろうではないかという提案をしたんです(笑い)。しかし、団で議論しまして、やっぱりこれはやめようと(笑い)。イスラムの社会には、この社会の独自のモラルがあるのだから、われわれもこれを尊重しようと。それを尊重してこそ、「異なる文明間の平和共存」になるではないか(笑い)。ということで、団で全会一致になりまして、一滴も飲まないということを決めまして、ジュースでがまんしたのです。
関口 会談では話題になりませんでしたか。
志位 カーン副議長との会談で、こういう行動をとっているということを話しましたら、国会の事務総長が、「ちゃんと手続きをすればお酒は飲めることになっています」という。「それも知っていましたが、お国のモラルを尊重してこそ、異なる文明の共存になる」といったら、大笑いになりました。「異なる文明の平和共存」という課題の大切さを、お寿司と、お酒を通じて、実感したしだいです。(笑い)
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関口 三つの国の政府との会談全体をしめくくった感想というのはどういうことでしょうか。
志位 すべてが私たちにとって新しい出会いで、そこには新しい発見もたくさんあった。同時に日本共産党の値打ちを、南アジアの国々との出会いで“再発見”した旅ともなりました。すなわち、日本共産党の自主独立の路線のもつ値打ち、そして私たちがいま世界の大きな公理――国連憲章にもとづく平和秩序、公正で民主的な国際経済秩序、こういう大きな公理に立って、世界に働きかけている。この日本共産党の路線と方針は、世界のどこでも通じる。これがたいへん大きな感動でした。
大内田 私たちも「しんぶん赤旗」で報道しながらほんとうにそれを痛感しました。
志位 日本共産党の路線、その時々にとってきた行動、いま世界に対して働きかけている基本的立場――そのすべてが相手に通じる生きた力として働く。このことを実感しました。これは感動でした。
関口 訪れた国のなかには、共産党があります。インドでは、インド共産党(マルクス主義)とインド共産党があり、スリランカではちょうど共産党大会を開いていたと。この交流はどうだったのですか。
志位 三つの党と、それぞれとてもいい話し合いができました。楽しい、心温まる交流がありました。
とくにインド共産党(マルクス主義)との交流は、たいへんに内容豊かな交流でした。この党と日本共産党との交流と友好の関係は、二十年来の長いものですが、それは偶然のものではありません。二つの党の間には、旧ソ連や中国・毛沢東派の干渉とたたかい運動の自主性を守り抜いたという点でも、国の進路で真の非同盟のためにたたかいぬくという点でも、大きな共通点があるからです。
インド共産党(マルクス主義)の党勢は、八十万人をこえるところまで前進しているそうです。発展途上国の共産党としては最大の党です。日本共産党は、発達した資本主義国の共産党としては最大の党です。そういう点でも、この党との出会いは感慨深いものがありました。
志位 この党は、西ベンガルとトリプラという二つの州で、左翼政権の中心として「統治の党」となっています。ケララ州ではいまは野党ですけれども、何度も政権を担っています。
とくに西ベンガル州では、左翼政権が一九七七年以来、二十五年間つづいています。ここでは八千万人の人々が住んでいる。その州の統治を四半世紀にわたってやっているということは、たいへんなことです。一昨年の州の総選挙で、ブダデーブ・バタチャリアさんという方が首相になり、この方とも会談しましたが、非常に印象的なことがいくつかありました。
関口 八千万人の「統治の党」ですか。
志位 ええ。私が印象的だったのは、あれだけ宗派間の紛争が多いインドで、西ベンガル州では二十五年間、宗派間の大きな紛争が一度もないということです。宗派間の“平和のとりで”になっているという州だということでした。これはインドにとっては非常に大事な点なんですね。
その根本には、人民の生活向上への努力と、草の根での民主主義の努力、この二つがあると思いました。
関口 具体的にはどういう……。
志位 まず土地改革にとりくみ、地主のもっている土地を小作人に分配して土地所有をできるようにした。それから、地方自治制度という点ではパンチャヤト・ラージという草の根の自治組織を、三段階でつくっているんですよ。いちばん身近なものは、グラマ・パンチャヤトといって、村の段階でのパンチャヤトなんですけど、五年ごとに選挙で代表を選んで、住民自治を草の根からつくっている。
貧困の削減という点では、世界銀行の報告書によると、インドのすべての州で、西ベンガルは削減率がトップなんです。二十五年間で貧困率は56%から26%に減った。
それでもまだ26%が深刻な貧困だということを重視して、最近、「グリーン・カード」の制度を始めたそうです。このカードで、教育も医療も無料になる。融資や日常品の配給でも優遇されるという。貧困対策にたいへんな力を入れている。
私は、バタチャリア首相に、「財源はどうしているのか」と聞いたんですよ。見事な答えが返ってきました。「トップ・プライオリティーだ」と。最優先でこういうものはやるのだというのです。ほんとうの政治の真髄を見る思いでした。これは、われわれの政治の立場でもあるわけですが。
大内田 パンチャヤトを訪問されましたね。
志位 ええ。アマンガ・グラム・パンチャヤトという、コルカタから北に二十五キロぐらいの農村です。ここでは、貧困の問題、保健の問題、教育の問題にとりくみ、みんなが自立して生活できるようにする。このことが、住民自治の力ですすめられていました。
とくに貧困な世帯には、州の援助で住宅を建てるんです。家の中まで案内してもらって入ってみましたが、自分の家ができたことの喜びが伝わってきます。
それから小学校にもいけないような貧困な家庭の子どもたちのために、「教育援助センター」というのをつくってるんです。そこで小学校にいけるところまで学力をつけるんですね。そこにいきましたら、本当に子どもたちの目が輝いていましてね。大歓迎してくれました。
大内田 笑顔と拍手で迎えていましたね。かわいかったです。(笑い)
志位 素晴らしい体験でした。私が、パンチャヤトのとりくみの中心になって担っている女性のリーダーに、「この成功の秘密は何ですか」と聞きましたら、「人民の力に依拠すること」という答えがずばり返ってきました。人民の要求にもとづき、その力に依拠し、命がけで、懸命にたたかう。この党には未来がある。この左翼政権には未来があると、たいへんにうれしい思いでした。
関口 去年一年をふりかえってみると、日本共産党はたいへん旺盛な野党外交を展開した一年だったと思います。一年を通しての野党外交の到達点と、今年の新しい年につなげるものは何かというものを。
志位 ほんとうに、わが党の野党外交という点で、実りの多い一年だったと思います。飛躍的な発展をとげた一年だったと思います。
その第一は、イラクに対するアメリカの軍事攻撃に反対する国際的共同のためのとりくみが大きくすすんだということです。
一九九一年に湾岸戦争が起こりました。わが党は、このときも平和のための国際的な働きかけをおこないましたが、その手段は、各国に対する書簡が主だったのです。一昨年のアフガンへの報復戦争のときも、不破議長と私の連名の書簡を二度にわたって出して、書簡によって各国に働きかけるということが中心でした。今回は、各国の政府に直接足を運び、直接働きかけて、平和のための国際的共同をつくる仕事をしている。
ふりかえってみて、たいへん重要だったのは、昨年八月末に不破議長が訪中して、江沢民総書記と「イラク攻撃反対」の一致を確認した。これは非常に大事な一歩だったと思います。その後、緒方さんが、中東六カ国を歴訪し、イラクの周辺国も含めた中東の心臓部で、「イラク攻撃反対」の一致が確認された。それにつづいて、南アジアの三つの国でも、「イラク攻撃反対」の一致が確認された。こうして、各国の政府に、直接働きかけ、平和の共同戦線をつくるということは、わが党の歴史にとっても初めての、新しい大きな仕事です。戦争の危険は深刻であり、予断を許しませんが、どういう推移になろうと、これは今後に生きる活動だと確信します。
この問題では、現実の国際政治の進展と、わが党の国際的な働きかけが、いわば同時並行ですすみ、合流しているという実感を持つのです。たとえば八月末に不破議長が江沢民総書記と「イラク攻撃反対」で一致するでしょう。そういうなかで、十一月の国連安保理決議一四四一をめぐっては、フランス、ロシアに、中国もくわわって、三国の共同声明で、「この決議は自動的な武力行使を排除したものだ」ということが、世界に宣言された。その後、中国とロシアが「平和解決」をもとめる共同声明を出す。さらにロシアとインドが「平和解決」をもとめる共同声明を出す。私たちが、南アジアを訪問した直後には、パキスタンとイランが「平和解決」をもとめる共同声明を出す。
わが党が、国際的に働きかけてきた活動と、世界の平和を願う理性の流れの広がりというものが、いわば同時並行的にすすみ、合流しているというのが実感です。このとりくみを、新しい年にさらに広げ、この戦争を食い止めるために全力をあげたいですね。
関口 パキスタンとイランの共同声明の話が出ましたが、委員長が訪問した時期は、イランのハタミ大統領がパキスタンを訪れた時と、ちょうど重なったんですね。
志位 ええ。そうなんですよ。
関口 報道によれば、ハタミ大統領一行は、百五十人の大代表団だったそうですが…。
志位 ええ。それを知ったのは、スリランカにいた時です。むこうは政権党で百五十人、こちらは野党で五人です(笑い)。「ハタミさんが来て、カタミが狭くなるかな」(笑い)などと冗談を言っていたのですが、パキスタン政府の態度は、たいへん忙しいはずなのに、私たちを重視して迎えるというものでした。
関口 緒方さんによれば、アジズ財務大臣は、イランとの会談のきりをつけて、走ってきたそうですね。
志位 ええ。経済問題も主要な議題の一つだったそうですから。私が、「たいへん忙しいときに、お会いいただき感謝します」というと、「お会いしたかったからです。日本共産党は重要な党です。私たちはあなたの訪問に大きな価値を見いだしています」ということでした。これは、たいへん印象深い出来事でした。
関口 非同盟運動の諸国との関係が、一気に広がったことも、昨年の重要な点ですね。
志位 そうです。昨年の野党外交を通じて、非同盟運動の諸国との提携、イスラム世界との提携の太い道が開かれたということも、非常に大事な前進だと思います。
わが党は、非同盟運動との共同ということをずっと重視してきましたが、それを担っている政府との交流ということでは、一九九九年に不破委員長(当時)が、マレーシアを訪問したことが、この間では、重要な前進の一歩となりました。この一歩が、昨年の一年間を通じて、さらに太く開かれたというのが大事だと思いますね。
大内田 ほんとうにそうですね。あの訪問には私も同行して、新しい扉を開くという感じでしたが……。
志位 そうでしたね。それから、イスラム世界との共存的提携ということは、ほんとうに未踏の分野だったんですけれど、緒方さんが、その心臓部の中東六カ国の訪問をおこないました。さらにパキスタンというイスラム世界で重要な役割を果たしている国も訪問し、「異なる文明間の共存」ということを、かなり現実感をもって、具体化する道が開かれたという感じがします。
それから、非同盟運動という点では、東南アジアでは、マレーシアとともに、タイが重要な役割を果たしている。ここで国際的な政党会議が開かれ、緒方さんが参加しました。そして、南アジアの三カ国の訪問です。これらの国は、さきほど話したとおり、非同盟運動でたいへん重要な国です。
関口 ふりかえると、一九九八年の中国共産党との関係正常化は、たいへん重要な意味をもっていますね。
志位 そのとおりです。わが党のこの間の野党外交の出発点が、九八年に、中国共産党との間で歴史問題を筋を通して解決して関係正常化をはかり、交流を開始してきたことにあることを、痛感します。この扉を開いたからこそ、東南アジアの扉も開かれたし、南アジアの扉も開かれた。
今回の南アジア訪問でも、パキスタンと中国とは伝統的な友好国です。ですから、わが党と中国共産党との関係を話して、こういう干渉もあった、たたかいもあった、しかし筋を通して歴史問題を解決して、いまはこういう友好的関係にあるという話をしますと、相手も安心するといいますか、そういうことも実感したことです。
私たちが、野党ではあるけれども、世界政治に道理をもって堂々と働きかけてきたことが、まちがいなく世界の進歩の流れに合流し、その流れを促進する役割を果たしているということは、この一年間をふりかえって大いに確信をもってよいのではないかと思っています。
関口 去年一年見ますと、日朝国交正常化交渉の開始がありました。中国のめざましい経済展開がありました。韓国では新しいうねりを感じさせるような大統領選挙がありました。私も本当に「動くアジア」というのを実感しています。そのなかで、日本がどうあるべきかということを多くの国民が考えさせられた一年でもあったと思うんですね。
志位 一言でいって、日本の自主性の確立がこんなにもとめられているときはないと思います。これが、日本の二十一世紀の最大の課題だということを、アジアの動きを見ても痛感しますね。
つまり、アジアの国々では、わが党がこの数年間の野党外交でも体験してきたように、どこでも、アメリカとの関係をかかえながら、自主的な国づくりのための努力をやっています。中国では、「社会主義的市場経済」――「市場経済を通じて社会主義へ」という道の探究が、壮大な規模ですすめられています。韓国では、新しい大統領になった盧武鉉さんの公約は、「対米自主性の確立」ということでした。韓国も、自主的な国づくりへの模索がすすんでいます。東南アジアは、一九九九年の不破委員長(当時)の訪問、昨年の緒方さんの訪問などを通じて、ASEAN(東南アジア諸国連合)という非同盟、非核兵器、紛争の平和解決という、平和の大きな激動とともに、経済でも自立的な経済建設をすすめようという流れが大きく脈打っているということが、わかりました。南アジアでも、国情はさまざまですが、非同盟を構成する源流の国として、政治と経済での自主的な発展をそれぞれ模索している姿がありました。中東の国々を見ても、イスラム社会の独自の方法で、いろいろな試行錯誤はあるでしょうけれども、自立的な発展を目指している。それぞれが、それぞれなりに独自の国づくりをやろうとしている。そして独自の外交戦略をもっている。
そういうなかで日本だけが、米国追随があまりに突出している。独自の外交戦略をもっていない。
関口 “属国日本”ということですね。
志位 ええ。それが痛感させられますね。イラクの問題でも、アジアから中東までのほとんどの国が、平和的解決をもとめているさなかに、日本ではイージス艦を出した。戦争が始まる前から、それを後押しするかのように、戦争の応援の軍艦を出すわけです。こういう進路をつづけておいていいのかということが、根底から問われていると思います。
日本共産党は、二十一世紀には、日米軍事同盟をなくして、非同盟・中立、自主・自立の日本をつくるということを目指していますけれど、それがいよいよ大事な課題になっていることを痛感しています。
関口 日本共産党の値打ち、存在価値というものが、日本のなかだけではなくて、世界でも重要になってきているという感じですね。
志位 そうですね。私にとって、外国訪問は今回が二度目なんです。最初は一九九八年に不破委員長(当時)に同行していった中国でした。自分が団長になっていくというのは初めてでして、さだかな見通しがあっていったわけではない面もあったのですが(笑い)、ベテランの緒方さんや森原さんたちに助けられ、目的を果たすことができました。何よりこの訪問の体験で、私がみなさんに伝えたいのは、世界のどこへいっても、日本共産党の路線と方針は、生きて力をもつということです。
わが党の値打ちを大いに発揮して、今年の政治戦に勝ち抜きたいと思っています。
関口 力強い話をどうもありがとうございました。
大内田 ありがとうございました。