2002年12月25日(水)「しんぶん赤旗」
志位委員長とアジズ国家再建局長官との会談では、パキスタンでの民主主義の過程や異なる文明間の平和共存などで対話が交わされました。
閣僚である国家再建局長官に三十七歳の若さで就任したアジズ氏は、同局が地方政治のレベルで選挙にもとづく民主主義を根づかせ、地方の政治に住民が参加できるようにするため、「自治体のさまざまなレベルで、自分たちで問題を解決するメカニズムづくりに着手しています。前の世代の人々が壊したものを私たちが再建するのです」とのべました。
これに対し志位氏は、「パキスタンでの民主主義発展のプロセスが進むことを期待します」とのべつつ、「世界をみても、民主主義には、日本には日本なりの、中国には中国なりの、イスラム社会にはイスラム社会なりの発展のしかたがあります。自分たちの『原則』だけが絶対だとおしつける独善的立場でなく、お互いを尊重しあう立場が必要です。『文明の衝突』ではなく、『異なる文明間の対話と平和共存』こそが必要です」とのべました。
アジズ氏は、志位氏の話に「すべて同意します」とのべつつ、「一つだけ”不同意”があります。外国からの”おしつけ”にもいいものがある」と、寿司(すし)が好物であることを明かすなど、打ち解けた話し合いとなりました。
イラク問題をめぐっては、アジズ氏が私見だと断りながら、「少なくとも若い世代は事態の推移を憂慮しています。パキスタンはずっと”前線国家”で苦しんできました。戦争に関与しない国をつくらなければいけない」と表明。
志位氏が「ソ連のアフガニスタン侵攻で、パキスタンには三百万人の難民とカラシニコフ(ソ連製ライフル銃)、麻薬が流れ込みました。大国の身勝手をこの地域で許してはなりません」とのべると、アジズ氏は「平和のために粘り強くやっていきたい」と力を込めました。
さらにアジズ氏は、広島の平和記念館を訪ねたことを「重い経験」だったと振り返り、阪神淡路大震災直後の神戸を訪れ、復興の様子を目の当たりにしたことを紹介。志位氏を自分の選挙区に招待したいと申し出るなど、話がはずみました。会談後、アジズ氏は玄関まで志位氏を見送り、両氏は互いに「新しい友人」ができたと喜びながら、握手を交わしました。